馬車道を抜け、
海へ向かう一本道を歩いた。
整然と並ぶ街路樹。
その間をまっすぐ伸びていく道が、
ただの道ではなく、
今の私の心そのもののように魅えた。
ポツポツと雨が落ちる。
波紋になるほどではない小さな雨粒は、
そのまま路面に染み込んでいく。
濡れた道は、街の明かりを映していた。
その光を見ながら、ふと思った。
人生の中で私は、
いつも何かに見られ、
何かを感じ、
自分の行いを振り返りながら
歩いてきたのかもしれない。
褒められて嬉しかったこともある。
間違いに気づき、悔い改めたこともある。
うまくいかなかった自分を
魅つめ直したこともある。
そうやって人は、
自分を少しずつ更新しながら歩いていく。
決められた物語など、
本当はどこにもないのかもしれない。
与えられた環境や、
避けられなかった出来事はある。
けれど、その中でどう感じ、
どう歩き、
どう書き換えていくかは、
自分で選べる。
人生の小径を歩きながら、
自分自身の物語を更新していく。
そんなことを考えているうちに、
今度は欲望のことが浮かんだ。
お腹が空けば食べたい。
欲しいものがあれば手に入れたい。
嫌なものがあれば遠ざけたい。
それは子どもも大人も同じなのかもしれない。
ただ、大人には知識と経験がある。
だから欲のままに走らず、
時には立ち止まり、
時には諦め、
時には別の形へ変える。
でも、いつも自分一人で
うまく整えられるとは限らない。
怒り。
悲しみ。
悔しさ。
寂しさ。
叶わなかった思い。
それらをただ押し込めてしまえば、
心のどこかに澱のように残ってしまう。
そんなとき、人は人を必要とするのだと思う。
抱きしめてもらう。
言葉を聞いてもらう。
何も解決しなくても、
ただ隣にいてもらう。
それだけで、
尖っていた心が少しずつやわらかくなる。
私はそれを、心ならしと呼びたい。
感情を消すのではない。
我慢だけで押さえ込むのでもない。
怒りも悲しみも喜びも、
自分の中にちゃんと置いたまま、
少しずつなめらかに整えていく。
そうすると、心にまた余白ができる。
そこへ次の感情が入ってくる。
雨の日の景色も同じだった。
曇り傘を通して見れば、世界はぼやける。
でも傘を外しても、
今日は雨だから景色は白く霞んでいる。
その違いに気づいた。
自分の曇りで世界を歪めるのではなく、
雨の日は雨の日の姿として魅る。
人も、きっと同じ。
自分の思い込みではなく、
その人そのものを魅る。
そうしてまた、人という文字が浮かんだ。
一画目と二画目。
離れすぎず、
重なりすぎず、
ただ一点でそっと触れている。
その接点で、人は人の心をならしていく。
雨の一本道を歩きながら、
私はまた少し、自分の心の小径を進んだ。
道、心をならす✨
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