和歌山からの帰りの電車の中でも、
私は眠らなかった。

目薬をさしながら、
チカチカする目で『鬼の花嫁』を
次から次へと読み進める。

眠くて頭は重い。
それでも、次を知りたい、
もう少しだけ――その気持ちを抑えられない。

気づけば27話。
55話まであるのだから、まだ半分なのに。

自宅に帰り着いたときには、
もう身体はくたくただった。
「お帰り」玄関まで迎えに来てくれた家族は、
もう着替えて出かける支度をしていた。
私が帰ってきたら一緒にご飯を食べようと、
楽しみに待っていてくれたらしい。

その笑顔を見た瞬間、胸の奥がふっと緩んだ。
ああ、帰ってきたんだ。

本当なら、キャリーケースを放り出して、
そのまま眠ってしまいたかった。
でも、私の帰りを
待っていてくれたんだと思うと嬉しくて、
「もう無理」とは言いたくなくなった。
もうひと頑張りしよう。

着替えることも
荷物を開けることも後回しにして、
家族と近くのお寿司屋さんへ向かった。

昼も和食のコース料理だったから、
もう生ものはいいかなと思っていたのに、
本日のおすすめに
「かつおの塩たたき」を見つけた途端、
その気分はどこかへ飛んでいった。

脂がのった戻りがつおがおいしい。
いつもの私なら、おかわりしたかもしれない。
でも今日はそこまでは入らなかった。

ノンアルコールビールとおつまみを楽しみ、
最後の握りは火の通ったものばかり。
朝から走り続けた身体に昼も夜もごちそうで、
お腹まで驚いているようだった。

それでも、家族と同じテーブルを囲み、
何気ない話をして笑う時間は心地よかった。

旅先でどんなにおいしいものを食べても、
この味は少し違う。

「お帰り」と待っていてくれる人がいる。
一緒にご飯を食べたいと
思ってくれる人がいる。
ただ家に戻ったのではなく、
家族のいる場所へ帰ってきたのだと思った。

そして家に戻れば、現実が待っている。
キャリーケースの片付け。
15日からの横浜ステイの荷造り。
明日は会社へ出社。
長袖のブラウスも出しておかなければ。
『鬼の花嫁』の続きだって読みたい。

次から次へと予定が浮かび、
頭の中がぐるぐる回り始めた。

少し頭を冷やそうとベランダへ出る。
風さん。
今日は3時から起きてるから、
もう疲れちゃった。
本当はお風呂に入って、こてんと眠りたい。
でも今日できるところまでは
やっておこうと思ってるの。

――大変だね。
あまり無理しないでね。
風さんが、オーバーヒートした頭を
シューッと冷ましてくれる。

玄関の「お帰り」
食卓の笑い声。
『鬼の花嫁』を追いかけた胸の高鳴り。
そして、明日からの予定で
いっぱいになった頭。

今日という一日は、
いろんな熱を抱えすぎたのかもしれない。
その熱のひとつひとつをほどくように、
夜の風が頬を撫でてゆく。
シューッ。

もう少しだけ。
もう少しだけ、ここにいよう。
風さんが熱を冷ます。
身体の熱を。
頭の熱を。
そして、朝3時から走り続けた
今日という一日の熱を。

夜はようやく、静かになってゆく。