長い一日が終わろうとしている。

今日を振り返ると、
何か特別なことがあったわけではないのに、
心の中には
いくつもの小さな灯りが残っている。

朝には少し急いていた心があった。
やらなければならないことを前にすると、
まだ始まってもいないのに、
先に疲れてしまうことがある。

でも、ひとつ越えれば、またひとつ。

気づけば、
心の中に立っていた小さな壁は、
いつの間にか向こう側にあった。

そして夕暮れ。
家の中に流れる何気ない言葉が、
今日はやけにやさしく聞こえた。

大きな言葉じゃなくていい。
「美味しい」とか、
「ありがとう」とか。

そんなひと言が、心の奥にそっと触れてくる。

近くにいるときには気づかないぬくもりが、
離れる前になると、少し輪郭を持つ。

寂しいような。
でも、寂しいだけではない。
離れている時間があるから、
また会いたいと思える。

少し間があるから、
言葉も笑顔も、
前よりあたたかく感じられる。

そんな距離も、悪くないのかもしれない。

夜になって、
心はするすると別の世界へ遊びにいった。

青い炎。
赤い瞳。
近寄りがたいほどの美しさ。
けれど、その奥には、
たったひとりを守るためのやさしさがある。

私はたぶん、
強さそのものに惹かれているのではない。

誰にでも向けるものではない、
ただひとりだけに差し出される想い。
そこに、ときめいているのだと思う。

だから物語を読み進めても、
心はまた最初へ戻りたくなる。
まだ何も知らなかったあの瞬間へ。

この人は誰なんだろう。
どんな人なんだろう。

そう思ったときの、
胸の奥がふっと熱くなる感じ。

恋というものは、
もしかしたら、
相手を知り尽くしたところよりも、
まだ知らない余白の中で
いちばん鮮やかに光るのかもしれない。

そして、
今日という物語も最終章に入ろうとしている。

明日はまた、少し場所を変えて、
新しい時間が始まる。

でも今は、明日のことを考えなくていい。
今夜はただ、
今日の心だけを抱いて眠りたい。

あたたかさも。
少しの寂しさも。
胸の奥に残ったときめきも。
全部そのままで。

そして夢の中では——。

聖獣の霊力に守られ、
一年中花を咲かせる神秘の桜がある。

夜の風が吹くたびに、
花びらがひらり、ひらりと舞い落ちる。
その桜の下。

黒い紋付の若様が、
私の手をそっと包む。

強く引くのではなく、
ただ、こちらへおいでとでも言うように。

ほんの少しだけ前へ。
私はその手に導かれながら、
あなたを魅つめる。

「あなたは、私を愛してくれますか」

桜の花びらが、ふたりの間を横切る。
そしてあなたは静かに答える。

「ああ、お前ひとりを愛そう」

その声が、夜の中にゆっくり溶けていく。

「俺の花嫁」

もう、それでいい。
今夜はその言葉だけを胸に抱いて。

舞い散る桜の向こうへ、

あなたに手を引かれながら、
夢の続きを歩いていこう。