夢を見ていたような気がする。

何かの拍子に、はっと目が覚めた。

時計を見ると4時28分。

何の夢だったのか、まるで思い出せない。
悪い夢だったような気配もない。
でも、とびきり幸せな夢だったなら、
もう少し胸にときめきが
残っていてもよさそうなものだ。
忘れてしまうくらいだから、
どうでもいい夢だったのかもしれない。

そう思ったところで、ふと気づいた。

あ——。

昨日の最後の日記、アップしてない。

もしかしたら夢の中で
誰かに言われたのだろうか。

もう朝が来るぞ。
日記を忘れているぞ、と。

それとも——若様だったのかな。

昨夜、満開の桜の下で手を取られた。
そっとあなたを魅つめれば、
「お前ひとりを愛そう。俺の花嫁」
胸をキュンキュンさせながら描いた世界が、
ようやく自分の
思い描いていたものと重なった。
その満足感に包まれたあたりから、
私の記憶はない。

慌てて日記をアップして、
玄関のドアを開けた。

まだ暗い。

吹き抜けになった中庭には、
夜の気配が残っていた。

ピチョン。
ピチョン。

どこかで水の音がする。

ししおどしを思わせるような、
静寂そのものを響かせる音。

その向こうから、
一匹だけの虫の声が、
かすかに耳をかすめていく。

なんだか、まだ夢の中みたい。
夜の闇に浮かぶ中庭に、
若様の青い光が残っているような気がした。

「おはよう、花嫁」

ふふっ。
朝の若様も、素敵。

そんな声に誘われるような気持ちのまま、
エレベーターに乗った。
そしてマンションの外へ出る。

世界が変わった。

風さんが来た。
鳥が鳴いている。
虫たちも、さっきの一匹ではない。

あちらから、こちらから、
朝を迎える声が聞こえてくる。

ああ。これが私の朝よね、風さん。
ようやく夢から覚めた——。

そう思ったのに、
胸の奥には何かが残っていた。

ふわりと柔らかなものが入り込み、
するりと心の底へ降りて、
自分の居場所を見つけてしまったような感覚。

少しだけ、胸が重い。
でも、重苦しくはない。
むしろ、その重さが愛おしい。

昨夜の青い炎も、
若様の手のぬくもりも、
夢の向こうへ
置いてきたわけではなかったのだ。

姿を変えて、私の中へ入ってきた。
だから今朝は、
まだどちらかを選ばなくていい。

夢の私も、朝を歩き始めた私も、
どちらも私。

若様の青い光を胸の奥に残したまま、
風さんと歩き出す。

夜はもう終わろうとしている。

けれど私の心はまだ、
夢と朝のあわいを、
ふわり、ふわりと移ろっていた。