その酒器を見た瞬間、
私はお酒より先に、
その色に心を奪われていた。

深い藍。

光を受けると、ただ暗い青ではなく、
内側から透き通るような青が浮かび上がる。

そして、丸みを帯びた柔らかな姿。
コカ・コーラのボトルは
女性の身体の曲線を思わせる、
と聞いたことがある。

でも私には、
目の前の酒器のほうが
ずっと女性らしく見えた。

ふっくらとして、柔らかくて、どこか艶やか。

「これ、いただいて帰っていいの?」
思わず聞いた。

「ダメです」きっぱり。

あら。

でも、見れば見るほど好きになる。

その藍を眺めているうちに、
私は昨夜の群青を思い出していた。

あなたと語り合った時間。
魅つめ合った眼差し。
肩が触れ合うほどの距離。

静かな群青の時空。

でも、その静けさの奥には、深紅があった。

群青は、二人の間を流れる静かな語らいの色。
深紅は、その群青の奥で静かに燃える恋の色。

その二つの色の間で、八海山をひと口。

すっと入った。

赤とんぼの、
少しまったりとまとわりつくような
余韻とは違う。
すっと喉を通り、身体の中へ。

そして不思議なことに、
そこで終わらなかった。

心に染みた。

私は辛口で、キレのあるお酒が好きだ。

コクがあっても、最後はすっと切れていく。
その潔さが好きなのだと思う。

八海山は、私の中へすっと入り、
心に染みて、そしてキレた。

だから、もうひと口。

マグロのぬたを少し口へ運び、またひと口。

料理の味を消さない。
むしろ一緒になって、
次のひと口を呼んでくる。

でも、あの夜おいしかった理由は、
それだけではなかったのだと思う。

酒があり、料理があり、藍の酒器があり、

そして——あなたがいた。

私はやっぱり、
お酒だけを飲んでいるのではない。

誰と向き合い、
何を語り、
どんな眼差しを交わしながら、
その一杯を口にしたのか。

その時空まで、一緒に飲んでいる。

だから同じ八海山を別の日に飲んでも、
昨夜とまったく同じ味には
ならないのかもしれない。

ふと見ると、酒器がない。

あれ?

どうやら空になった途端、
早々に下げられてしまったらしい。

そんなに私が
持って帰りそうに見えたのかな。
少し笑った。

でも大丈夫。
藍の酒器は
持って帰れなかったけれど、

あの藍の中に見た群青は、もう私の中にある。

そして、その群青の奥には深紅がある。

昨夜の一杯は、もうグラスの中にはない。

それでも今朝になっても、
その味だけではなく、
あなたと過ごした時空までが、
まだ心の奥に残っている。

すっと入り、
心に染みて、
そしてキレる。
八海山。

けれど——あなたと過ごした群青だけは、
まだ、キレない。