馬車道へ入ると、
足元から小さな音が聞こえてきた。

キュッ、キュッ。
キュッ、キュッ。

降ったばかりの雨粒が路面に張りつき、
街の灯りを映してほのかに輝いている。

その上を踏んで歩くのが、
なんだか少しもったいない。

雨はいつの間にか止み、
さっきまで一緒だった風さんも、
どこかへ行ってしまった。

風がいなくなると、少しむしむしする。

キュッ、キュッ。
キュッ、キュッ。

規則正しい靴音を聞いているうちに、
なんだか歩きながら
拭き掃除をしているような気がしてきた。

今、私はどこを拭いているんだろう。

きっと、
いっぱい動いて、
いっぱい感じた心の中。

でも、
それは汚れを落とすための
掃除ではなかった。

昨日まで私の中に幾重にも重なってきた白。
その上に、
また新しい色を知った白が重なった。

どちらも私の白なのに、
重なったばかりだから、
まだほんの少し境目がある。

そこを一歩ずつ、
キュッ、キュッ。

磨くのではなく、ならしていく。

ふと、昔テニスをしていた頃の
コートを思い出した。
プレーを終えたあと、
コートを往復しながら丁寧にならしていく。
最後にはローラーをかけ、
また気持ちよく
プレーできる場所へ戻していく。

そしてもうひとつ、
心に浮かんだものがあった。

枯山水の砂紋。

雨が降れば崩れる。
風が吹けば乱れる。
けれど、
また熊手を入れればいい。

そうか。

心が散らかるというのも、
同じなのかもしれない。

汚れたのではない。
嬉しくて揺れた。
誰かの言葉にざわついた。
美しいものを見て震えた。

心がたくさん動いたから、
そこにいくつもの波が生まれただけ。

ならば、消さなくていい。
昨日の波も、
昨日の色も、
全部そこにあったことを受け入れながら、
今日の私へ馴染むように、
そっとならしていけばいい。

そのとき、
ずっと以前から使っていたひとつの言葉が、
心の中へすとんと落ちた。

心ならし。

ああ、そうだったのか。

新しく見つけた言葉ではない。

ずっと私の中にあった言葉。

ただ今朝、ようやく私自身が、
その言葉の意味に追いついた。

途中、
せっかく整い始めた砂紋に、
小さな跡がひとつ落ちた。

でも、これくらいなら熊手はいらない。

ぴゅっ、ぴゅっ。

手のひらでそっとならして、おしまい。
また歩き出す。

キュッ、キュッ。
キュッ、キュッ。

その音はもう、
拭き掃除の音には聞こえなかった。

今日という新しい一日を迎えるために、
私の心に新しい砂紋を描いていく音。

雨に乱れたら、またならせばいい。
風に崩れたら、また描けばいい。

心ならしとは、心を動かさないことではない。
たくさん心を動かしながら、
何度でも自分の白へ還ってくること。

そう思ったら、
足元から響くキュッキュッという音が、
なんだか少し愛おしくなった。