心のサンクチュアリーへ着く少し手前。
まだ街は完全には目覚めていなかった。
遠くに見えるのは、
夜が去る前の静かな灯り。
夜のきらびやかな光より、
私は今、
このぽつり、ぽつりと残る光の方が
好きだと思った。
派手ではない。
けれど、
ひとつひとつに息づかいがある。
これから目覚める街の中で、
灯りだけが先に、
小さく呼吸を始めているようだった。
その向こうには山。
山の稜線の上には、
少しずつ白が浮かび上がってきている。
ああ。
これが今日の私の心の余白なのかもしれない。
昨日までに積もったものを、
すべて消してしまうのではなく。
ただ少しずつ、
白を重ねていく。
何かを入れるための空間。
何かを感じるための間。
その余白の上に、
星がひとつ輝いていた。
東の空。
ひときわ明るい、
白い粒。
さらにのけぞるように空を見上げれば、
そのまわりにもたくさんの星。
今日は本当に、
星が美しい。
どの星も、
あの星のマークのように尖ってなどいない。
ただ、
ぼわっと白く滲んだ小さな粒。
だからこそ、
私はそこに神秘を感じる。
はっきりしすぎないもの。
つかみきれないもの。
輪郭を持たずに、
ただそこにあるもの。
そういうものに、
今の私は惹かれる。
目の前には、
小さな墓地がある。
以前なら、
少し気になったかもしれない。
でも今朝は、
不思議なくらい怖くなかった。
ここに眠る人たちも、
もしかしたら、
この幻想的な朝の世界の中に
いるのかもしれない。
夜と朝のあわい。
生と死のあわい。
光と影のあわい。
見えているものと、
見えていないもののあわい。
その間に、
すべてが静かに漂っているような気がした。
私はふと、
さっき考えていたことを思い出した。
若さ。
老い。
時間。
浦島太郎の玉手箱。
『ドリアン・グレイの肖像』
人は、時の流れから逃げることはできない。
でも、それでいいのだと思う。
時とともに変わること。
周りの景色が変わること。
知っている人がいなくなること。
それは寂しいことだけれど、
同時に、自分が生きてきた証でもある。
変わらないことよりも、
変わりながら残っていくものの方が、
私は好きなのかもしれない。
そう思った。
だから、
若さを保つことだけが美しいのではない。
時間を重ねながら、
心を磨く。
見た目を磨く。
姿勢を磨く。
言葉を磨く。
感性を磨く。
そうやって、
自分をすっぽり磨きながら生きていく。
その方が、ずっと私らしい。
そして、そうやって心を磨くためには、
こういう風景に出逢うことが、
とても大切なのだと思う。
空を魅て、
心が震える。
星を魅て、
なぜだか涙が出そうになる。
虫の声を聴いて、
季節の移ろいを感じる。
風に吹かれて、
自分が今ここにいることを感じる。
それは、
人間に与えられた能力なのかもしれない。
何かを美しいと思うこと。
その美しさに、
心を動かされること。
その感動を、
身体いっぱいに受け取ること。
それは、
神さまが人に与えてくれた、
とても不思議な力なのかもしれない。
空は少しずつ変わっていった。
さっきまで、
白と黒のあわいのようだった雲。
その雲は今、
黒くなっていた。
私が雲だと思っていたものは、
もしかしたら、
漆黒の世界が白へ変わっていく途中に残した、
夜の残り香だったのかもしれない。
そして今、
その漆黒は、
山の稜線の向こうへ沈もうとしている。
いや。
もしかしたら、
私の心の中にある漆黒の世界へ、
ゆっくり吸い込まれていくのかもしれない。
その向こうでは、
白が少しずつ広がっていく。
もう何分かしたら、
この空はきっと、
朝の光を迎える準備を始める。
そして、
今私が魅つめている白い粒の星たちも、
いつの間にか、
夜空の奥へ吸い込まれていくのだろう。
相変わらず、
虫の声が響いている。
夜は終わっていく。でも、
完全に終わったわけではない。
朝が始まっていく。でも、
まだ完全に朝ではない。
その間。
私はこの「あわい」が好きなのだと思う。
白と黒が混ざる。
光と影が混ざる。
夜と朝が重なる。
昨日と今日がすれ違う。
そこには、
どちらでもない時間がある。
そして、
そのどちらでもない時間だからこそ、
心は自由に漂うことができる。
夜と朝とのあはひに心遊ばせ、
星の光を胸に宿しつつ、
山の端ほのかに白みゆくを魅るは、
いとをかし。
清少納言なら、
こんな朝をどう書いただろう。
そして私は、
こんな朝に、もののあはれを感じる。
消えていくもの。
現れてくるもの。
残るもの。
移ろうもの。
すべてが同時に存在しているからこそ、
こんなにも美しい。
幽玄。
その言葉が、
今朝の空にはよく似合った。
見えているのに、
すべては見えない。
わかるようで、
わからない。
だから、
心がその向こうへ飛んでいく。
私はしばらく、
その世界の中に立っていた。
何も急がず。
何も決めず。
ただ魅つめる。
それだけで、
心の中にあったざわめきが、
少しずつ静かになっていく。
そして、
その静けさの中に、ひとつ。
またひとつ。
今日のための余白が生まれていく。
その余白の上に、
今朝の星たちが、
小さな光を置いてくれているようだった。
そう。
今日一日は、
ここから始まる。
私はこの奇跡の光を胸に抱いて、
今日を歩いていく。
くじけそうになったら、
この空を思い出そう。
疲れたら、
この星を思い出そう。
心がざわついたら、
このあわいの静けさを思い出そう。
そして、
今日一日の終わりには、
また、どんな空に逢えるのだろう。
そんなことを思ったら、
少しだけ、今日が楽しみになった。
私は心のサンクチュアリーを後にする。
夜の名残を胸に。
朝の光を迎えるために。
そして、今日という新しい一日へ。
— Morimura
特別編|夜と朝のあはひに✨
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