湖には、
水をたたえるためだけではなく、
物語を映すために
生まれた場所があるのかもしれない。
余呉湖。
琵琶湖の北、
山々に抱かれるようにして、
小さな湖がひっそりと横たわっている。
人はそこを、
鏡湖とも呼んできたという。
鏡。
その名を聞いただけで、
私は水面を魅つめたくなる。
空を映し、
山を映し、
雲を映し、
そしてきっと、
そこに立つ人の心までも映してしまう水。
波のない朝なら、
どちらが本物の空なのかわからなくなるほど、
静かに世界を抱き込むのだろう。
そんな湖に、
天女が降りたという。
遠い遠い昔。
空から白鳥たちが舞い降り、
やがて天女となって、
湖のほとりで水と戯れた。
その羽衣は、
きっと今でいう布などでは
なかったのだと思う。
月の光を織ったようなもの。
風を束ねたようなもの。
あるいは、
空と地上を行き来するための、
目には魅えない心の翼だったのかもしれない。
けれど、
一人の天女は、その羽衣を失った。
空へ帰る術をなくし、
地上に残ることになった。
伝説では、
その天女はやがて地上の人と夫婦になり、
子どもをもうけたと語られている。
けれど私は、
その物語を聞くといつも少し考えてしまう。
天女は、
空へ帰りたかったのだろうか。
それとも、
地上に愛する人を見つけてからは、
空と地上のあいだで
心が揺れていたのだろうか。
帰りたい。
でも、離れたくない。
空が恋しい。
でも、この手も離したくない。
そんな二つの気持ちが、
湖面の上で重なっていたのかもしれない。
今日、私は空を魅上げながら、
横浜まで続いていそうな
雲の線路を想像していた。
その線路の下では、
二人が手をつないで、
空を駆け巡っていた。
もし、
あの雲の線路の先に余呉湖があったなら。
天女はそこから、
こちらを魅ていたのだろうか。
「空へ行きたいの?」
そう訊かれたら、
今日の私はきっと答える。
行きたい。
でも、ひとりではなく。
大切な人の手を握ったままなら、
空でも、水の上でも、
どこへでも行ってみたい。
そう答えると思う。
ふと、
余呉湖の水面に羽衣が触れる。
白い布が、
さらりと水の上へほどけていく。
けれど、それは沈まない。
湖面に重なり、
空を映し、
やがて水と空の境目を消してゆく。
そのとき、
天女はもう空の人でも、
地上の人でもなくなる。
ただ、
誰かを想う一人の人になる。
愛する人と離れたくないと願う心。
それは、
天女も私も、
きっと変わらない。
だから人は、
水辺に物語を残すのかもしれない。
水は、
形を持たない。
けれど、
何でも映す。
空も。
人も。
記憶も。
恋も。
そして、
帰る場所を迷う心さえも。
余呉湖。
もし今、
その鏡のような水面を魅つめたなら、
私は何を映すのだろう。
たぶん、
今日の青い空。
横浜へ続いていた雲の線路。
そして、
その下を手をつないで駆けていた二人。
水面のどこかで、
天女の羽衣と私の雲の線路が、
そっと重なる。
空へ帰るための羽衣ではなく、
誰かのもとへ向かうための
白い道として。
風が吹けば、
水面は少しだけ揺れる。
映っていた空がほどける。
人影も、
雲も、
恋も、
いったん細かく砕ける。
けれどまた、
風が止めば戻ってくる。
だから水鏡は美しいのだろう。
揺れても、消えない。
形を失っても、また映す。
人の心も、
きっと同じなのかもしれない。
羽衣の
ほどけし水に
空映り
帰る場所より
手を取りし人
— Morimura
水鏡の小径|第二景羽衣、余呉の水にほどける✨
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