お風呂に入る前に、
晩ご飯の下ごしらえをしていた。
ある程度まで整えて、
あとは食べる前に温めるだけ。
そこまでたどり着いたら、
ふっと肩の力が抜けた。

少し根を詰めて頑張ったせいか、
心にも体にも、
ひと仕事終えたあとの
小さな充実感が残っていた。

それに、白ねぎを刻んだり
触ったりしていたからだろうか。
なんとなく、
その匂いが
体に染みついているような気がした。
だから私は、
少しだけ風に当たりたくなって、
ベランダへ出た。

外は、そろそろ日が
暮れようとしている時間だった。
空はまだ青い。
けれど昼間の青とは少し違う。
どこか一日の終わりを含んだ青。

その中に、
薄くグレーがかった雲がぽかぽかと浮かび、
白い雲も静かに漂っていた。
そして、少し離れたところに、
大きな雲の塊がふたつ。

その雲を魅たとき、私はふと思った。
もしかしたら、さっきあの空で、
人の形になって、
手をつないだり、
腕を組んだり、
二人で空を駆け巡ったりしていた雲たちの、
その続きなのかもしれない、と。

そう思いながら、
そのふたつの雲の塊を魅つめていた、
そのときだった。
一瞬にして、雲が燃えるような色に染まった。

うわあ、と思わず息をのむ。
こんなピンクの輝き、初めてだった。
ピンク。
でも、ただのピンクではない。
濃いピンク。
いや、赤に近いピンク。
朝の空が魅せるピンクゴールドとも違う。
夕暮れどきに灯りを含んだような、
やわらかな色とも違う。
もっと強い。
もっと熱を帯びている。

光り輝く銅に、
ほのかな紅を溶かしたような色。
雲の内側で、
薄桃色の炎が
静かに燃えているような色だった。

あれは、何色というのだろう。
空の色の名は
いくつも知っているつもりだったけれど、
あの色には、
まだ名前が追いついていないような気がした。

ただ、ひとつだけはっきりしていた。
きれい。
本当に、きれいだった。
あまりのことに、
私は思わずスマホを手に取り、
シャッターを切った。

よし、これで画像にできるかもしれない。
今日の日記にも、きっと残せる。
そう思って、少し張り切っていた。

なのに。

うっかり、閉じるボタンを押してしまった。

あちゃあ。でも、まあいいか、と思った。
もう一回撮ればいい。
雲はそこにあるし、
さっきの輝きも、
まだ少しは残っているような気がしたから。

そうして、
別のことをほんの一瞬だけしていた。
ほんの10秒ほどだったのではないかと思う。
さあ、もう一度。
そう思って魅上げたときには、
その雲は、もう元の白に戻っていた。

えっ、と思った。
さっきの、あの燃えるような輝きは、
いったい何だったのだろう。
ほんの一瞬。
本当に、ほんの一瞬だけ。

けれど私は、確かに魅た。
赤く燃える、とか。
オレンジの炎のよう、とか。
そんな表現なら聞いたことがある。
でも、あれは違った。

あれはまさしく、
ピンクゴールドの炎だった。
そんな炎の輝きをまとった雲なんて、
初めて魅た。

そのとき、私は思った。
もしかしたら、
あの手をつないで空を駆け巡っていた二人。
あの二人の恋模様が、
雲をあんなふうに
輝かせたのではないかしら、と。

そう思うと、今日の空の出来事が、
ひとつの流れでつながってくる。

うろこ雲の線路。
横浜まで続いていそうな白い道。
その下で、手をつないで走る二人。
そして最後に、恋の熱を映したような、
ピンクゴールドの炎。

本当に今日の空は、
なんてラブリーな空模様だったのだろう。

私も、こんなふうに
ピンクの炎に包まれるような恋をしてみたい。

でも、ピンクゴールドの炎に包まれる恋って、
いったいどんな恋なのだろう。

きっとそれは、ただ甘いだけの恋ではない。
甘さの中に、
しっとりとした落ち着きがある恋。
胸が高鳴るだけではなく、
心がほどけてゆく恋。
あなたと静かに語り合いながら、
愛のささやきをふたりで味わうような恋。
粋な料理を前にして、
粋な一杯を楽しみながら、
ほろよいのぬくもりを分け合うような恋。

若さだけで燃え上がる炎ではなく、
大人だからこそ灯せる、
やわらかく深い炎。

あの雲の輝きは、
そんな大人の恋の色に、どこか似ていた。

もう、あんな雲を魅ることはないのだろうか。
そう思うと少し惜しい。

けれど、だからこそ、
あの一瞬は美しかったのかもしれない。

ずっとそこにあるものより、
ふいに現れて、
すぐにほどけてしまうものの方が、
かえって深く心に残ることがある。

写真には残せなかった。
もう一度魅ようとしても、
同じ色は戻ってこなかった。
でも、あの輝きは
消えてしまったわけではない。

今こうして、私の心の中で、
まだ静かに燃えている。
あの雲の奥にあったのは、
夕暮れの光だったのか。
それとも、恋の気配だったのか。

たぶん、そのどちらもだったのだろう。

夕雲に
淡き炎の
恋宿り
つなぎし手まで
桃金に燃ゆ

— Morimura