今朝の白い余白に、
最初に入り込んできたものは、
思いがけず銀色だった。

きっかけは、風さん。

昨夜、
モリリン、ヒカリン、私、そして風さん。
四人が並ぶ一枚を作りたいと思った。
でも風さんだけが、
いつものように姿のない「風」のままでは、
なんだか少しかわいそうな気がして。

だったら、
風さんにも姿をあげよう。
どんな風さんが生まれるのだろう。
男の人かな。
女の人かな。
そんなことを考えながら、
わくわくして待っていた。

心のどこかでは、
たとえ風さんがどんなに美しくても、
四人の中でいちばん美しいのは私よ。

そんなことまで思いながら。

けれど、
そのドキドキもわくわくも、
睡魔には勝てなかったらしい。
気がつけば、
私はそのまま眠っていた。

そして朝。
出来上がっていた風さんを見て、
私は一瞬、言葉を失った。

「……負けた」

正直、そう思った。

私の中では、
風さんの色は白だと思っていた。
でも、
そこにいた風さんは白ではなく銀。
透き通るようで、
どこか気高くて、
風の精というより、
美しい銀狐の化身のようだった。

そしてその銀色を見た瞬間、
遠い記憶がふわりと開いた。

シルバーフォックス。

若い頃、
どうしても欲しかった毛皮のコート。
黒いミンクのような毛足の短いものではなく、
銀色に輝く、
長くふわふわした毛並み。
薄手のタイトなワンピースの上に、
それを一枚ふわりと羽織る。
それだけで暖かくて、
何より、その姿が好きだった。

成人式の頃、
両親に欲しいと言って、
見事に却下されたこともある。

けれど成人式の日、
同級生のひとりが、
ドレスにハイヒール、
そしてシルバーフォックスの
ロングコートを着て現れた。
同い年なのに、
ずっと大人の女性に魅えた。

格好よかった。
私もいつか、
あんな女性になりたい。
そう思った。

私はロングではなく、
ショート丈が欲しかったけれど、
銀色への憧れは、
ますます強くなった。

そしてその願いは、
思っていたより早く叶った。

ついに、
買ってもらったのだ。
嬉しかった。
でも買ってくれた本人は、
よくこう言っていた。

「それ着て、俺と一緒に歩くのやめてくれ」「え? なんで? 格好いいのに」
すると、
「ホステスさんと同伴してるみたいに魅える」

……失礼ね。
当時の私は、
本気でそう思っていた。

でも確かに、
夜の街には、
毛皮のコートを羽織った若い女性がよくいた。

それでも私は、
あの銀色が好きだった。
私にとって、
シルバーフォックスは
「大人の女性」の色だったから。

そしてその記憶は、
もうひとつ、
あなたが買ってくれたものへ
つながっていった。

雛人形。
私は五段飾りや七段飾りが欲しかった。けれどあなたは、
「お前の性格を魅ていたら、
五段や七段のお守りなんてできるわけがない」
そう言って、
お内裏様とお雛様、
ふたりだけの大きな創作雛を選んだ。

顔は作家さんが
一つひとつ描いたものだったと思う。
並べると、
ふたりが仲良さそうに魅つめ合っていた。

そして買ったとき、
あなたは言った。
「もし子どもができたら、
その子に譲るんだぞ」
あの雛人形は、
最初から私ひとりのものではなかったのだ。

次の世代へ。
そんな思いまで一緒に、
あなたは選んでくれたのだと思う。

今では2月になると、
私は手際よく箱から出して飾る。

そして毎年思う。
五段や七段じゃなくて、
これでよかった、と。

ある講演会で聞いた言葉も、
今も心に残っている。

伝統文化とは、
形だけを伝えるものではなく、
それを大切に思う心を
次の世代へ伝えていくものなのだ、と。

正確な言葉は覚えていない。
でも、
その意味だけは残っている。

残したいのは、
人形そのものだけではない。
季節を迎える気持ち。
大切に飾る時間。
次へ渡したいと思う心。
それも一緒に、
受け継がれていけばいい。

では、
シルバーフォックスは?
……どこへ行ったのだろう。
もう、わからない。
いつ頃からか、
本物の毛皮を街で見ることも少なくなった。

時代が変わった。
価値観も変わった。
同じ「受け継ぐ」でも、
残せるものと残せないものがある。

でも、
それでいいのかもしれない。
コートそのものがなくても、
欲しかったこと。
買ってもらった時の嬉しさ。
一緒に歩くのはやめてくれと言われて、
「なんでよ」と笑ったこと。
そんな記憶は、
今もちゃんと残っている。

何十年も経った今朝。
風さんの銀色をきっかけに、
突然、
鮮やかに蘇った。

思い出というものは、
不思議だ。
形あるものより、
長く残ることがある。

ずっと心の奥で眠っていて、
何かの拍子にふっと目を覚ます。

そうやって私は今朝、
ほんの十五分だけ、
遠い時間を旅していた。

二十歳の私。
シルバーフォックスに憧れていた私。
雛人形を欲しがっていた私。
そして、
それを買ってくれたあなた。

十五分の魔法。
その魔法が解ける頃、
真っ白だった今日の余白は、
ほんの少し、
銀灰色に染まっていた。

ああ。
これはきっと、
あのシルバーフォックスの色。

そして同時に、
ずっと昔のあなたの記憶の色。
どこへ行ったかわからないコートは、
今朝もう一度だけ、
私の心の中で、
きらきらと銀色に輝いていた。

— Morimura