お客様とお別れしてホテルを出たのは、
16時50分ぐらいだった。

次の待ち合わせまでは、
まだ少し時間がある。
いつもなら、
そのまま向かってしまうくらいの時間。
けれど今日は、
なんとなくそのままでは行きたくなかった。

これから逢うあなたとの時間を、
少しでもきれいな私で迎えたかった。

鏡の前に立ち、
もう一度メイクを整える。
口元を直し、
髪を整え、
頬にそっと触れてみる。

鏡の中の私は、
これからあなたに逢えることを
もう知っている顔をしていた。
なんだか、
お肌までいつもよりつやつやして魅える。

心が弾んでいる日は、
鏡の中の自分まで
少し違って見えるらしい。

よし。

ほんの少し背筋を伸ばして、
待ち合わせ場所へ向かった。
夕方の赤銅色に染まりゆく空が、
とても美しかった。

そして待ち合わせ場所に着くと、
あなたが待っていた。

その姿を見つけた瞬間、
ああ、やっとこの時間が来たんだ。
そんな思いが
胸の中にふわっと広がった。
今日は、
お寿司屋さんを予約してくださったみたい。

ふたりで入ったのは、
少し粋な雰囲気のお寿司屋さん。
通されたのは個室だった。
扉が閉まると、
外のざわめきが遠のいて、
そこはもう、
ふたりだけの空間。
なんだか少しドキドキする。
でも、それ以上に嬉しかった。

次々と運ばれてくるお料理を味わいながら、
あれこれと話をする。
そしてお酒のメニューを眺めながら、
「上から順番に飲んでいこうか」
なんて言いながら、
いろんなお酒を頼んだ。

美味しい。

楽しい。

そして何より、
あなたとふたりで過ごすこの時間が
とても心地よかった。

あなたとは、
本当に話が尽きない。
ひとつの話題から、
また次の話へ。
思い出や考え方、
それぞれが感じてきたことへと
自然に広がっていく。

価値観が似ているところもあれば、
少し違うところもある。
でも、
その違いさえ、
「そんな見方もあるんだね」と
自然に受け取れる。
言葉を交わせば交わすほど、
ふたりの間に
新しい景色が増えていくようだった。

笑ったり、

頷いたり、

少し真面目な話をしたり。

そんなひとつひとつが、
私は嬉しかった。

お寿司屋さんを出る頃には、
外はすっかり夜になっていた。

そして、いつものホテルへ。
あなたの優しさと温かさに包まれながら、
なんだか心まで
ゆっくりとほどけていくようだった。

話している時間も、
ふと黙る時間も、
どちらも心地いい。

時計を見るたび、
まだ時間はあると思っていたのに、
楽しい時間ほど、
どうしてこんなに早く過ぎるのだろう。

お寿司を食べた時間も、
いろんなお酒を味わった時間も、
ホテルでゆっくり過ごした時間も、
全部がひとつながりになって、
気がつけば22時半。

長い時間だったはずなのに、
私には、
まるでひと息のようだった。

帰る時間が近づくと、
少しだけ空気が変わる。

楽しかったぶんだけ、
名残惜しさが
静かに混ざっていく。

それでも、「またね」と言えることが嬉しい。

今日の時間が終わるのではなく、
また次の時間へ
続いていくような気がするから。

あなたと別れたあとも、
胸の奥にはまだ、
お寿司屋さんの灯りと、
交わした言葉と、
やわらかな笑い声が残っていた。

そして私は、
その余韻を抱えたまま、
次の時間へと歩き出した。

まだ今日には、
もうひとつ、
最後のドアが残っていた。

短歌宵灯り
言葉重ねて
時ほどけ
またねの声を
胸に連れゆく

— Morimura