秋は夕暮れ。

そう書き残した清少納言は、
暮れゆく空に、
どれほどの美しさを見いだしたのだろう。

そして、
吉田兼好は『徒然草』の冒頭に、

「心にうつりゆくよしなし事を、
そこはかとなく書きつくれば」と記した。

移ろいゆく空。

移ろいゆく心。

時代も、見つめるものも違うけれど、
その二つは、
どこかで静かにつながっているように思う。

今宵の私は、
その二人の言葉のあわいにいる。

清少納言の愛でた秋の夕暮れは、
すでに群青の帳に包まれ、

兼好法師のいう、
心にうつりゆくよしなし事だけが、
次から次へと浮かんでは消えてゆく。

けれど、
今夜はその一つひとつに、
名前をつけようとは思わない。

喜びも、迷いも、不安も、期待も。

すべて同じ私の心から生まれたもの。

その心を、
ただ群青の空に預けてみる。

今宵はコンタクトレンズを外したまま、

久しぶりの場所に腰を下ろしている。

街の灯りも、
建物の輪郭も、
すべてがぼんやりと滲んでいる。

ただ、群青だけがある。

雲の濃淡さえわからない、
境界線のない群青。

もし、今夜の空が鮮明に見えていたなら、
私はきっと、
その雲の明暗に、
自分の心模様を重ねていたのだろう。

けれど、今は違う。

大きな迷いも、
ささやかな喜びも、
まだ見ぬ明日への期待も。

そして、
少しお腹が空いたという、
なんとも他愛のない思いまで。

そのすべてが、
同じ重さで心に浮かんでくる。

ふふふ。

人の心とは、
なんと不思議なものだろう。

人生を左右するほどの問いと、
今夜の小さな空腹が、
何の隔たりもなく同居している。

けれど、
それでよいのかもしれない。

心に浮かぶものに、
わざわざ順番をつけなくてもよい。

何が大切で、
何が取るに足らないことなのか。

今夜は、
そんな仕分けさえ必要ない。

空は何も尋ねない。

答えを求めることも、
何かを選ばせることもない。

ただ、あるがままの心を、
その深い群青に包み込んでくれる。

そうか。

朝は空から心に光をもらい、
夜は空に心を預ける。

朝には朝の、
夜には夜の、
空との語らいがあるのだろう。

そして、
すべてを預けた心には、
いつしか静かな余白が生まれている。

その余白に、
明日はどんな光が差し込むのだろう。

今はまだ、
それを知る必要もない。

心にうつりゆくよしなし事を、
そこはかとなく思い巡らせながら、
ただ、この静けさに身を委ねていたい。

秋は夕暮れ。

されど、私には、

秋は群青。

— Morimura