朝の物語 第二部|あわいに灯る、ピンクの炎✨
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万国橋を渡り切ると、
私の心はようやく、
今という時間へ戻ってきた。
けれど、不思議だった。
星のブランコに揺られ、
遠い少女時代を旅してきたはずなのに、
胸の奥では、
まだ何かが動き続けている。
高校1年生のあの日。
真っ黒になった答案用紙の中に、
一本の数直線を描いた私。
あの数直線が、
今も自分の人生の中で生きている。
そう気づいたとき、
もうひとつの疑問が浮かんできた。
私は、いったい何者なのだろう。
数学が好きだった。
数字を使い、
論理を積み重ね、
ひとつの答えへたどり着く。
その過程が、たまらなく好きだった。
でも、文章を書くことも好き。
心に浮かんだ思いを拾い、
言葉をひとつずつ重ねながら、
自分だけの世界を描いていく。
それもまた、
私にとって大きな喜びだった。
理系なのか、文系なのか。
ずっと、どちらにもなりきれない
自分がいた。
何をやっても、
そこそこはできる。
けれど、どこか中途半端。
ひとつの世界を徹底して究めた人を
羨ましく思うこともあった。
情熱だけは、あったのに。
そんな自分を、
長い間どこかで
持て余していたのかもしれない。
でも、今朝。
ふと思った。
数学と文章。
本当に、そんなに違うものなのだろうか。
数学では、
与えられた条件を読み解き、
ひとつずつ組み立て、
答えへと導いていく。
文章では、
心に浮かぶ思いを拾い上げ、
ひとつずつ言葉を重ね、
自分の心へとたどり着いていく。
あら。
なんだか、似ている。
どちらも、
目には見えないものに、
少しずつ形を与えていく営みなのだ。
数学では数式に。
文章では言葉に。
そして最後には、
自分なりのひとつの世界が生まれる。
ああ、そうだったのか。
私は、どちらにもなれなかったのではない。
どちらの世界にも、心を寄せていたのだ。
そう思った瞬間、
胸の奥に小さな明かりが灯った。
デジタルとアナログ。
論理と感性。
数字と言葉。
そのどちらかを、
無理に選ぶ必要なんてなかった。
二つの世界のあわい。
そこに、
私が歩いてきた道があったのだ。
なんだか嬉しくなった。
長い間、
自分の居場所を探していたつもりだった。
でも本当は、
もうずっとそこを
歩いていたのかもしれない。
ただ、
そこが自分の居場所なのだと、
気づいていなかっただけ。
ふふふ。
今さら、こんなことに気づくなんて。
でも、遅すぎることなんてないのだろう。
気づいた今から、
その道をもっと大切に歩いていけばいい。
そんなことを考えながら、
中央広場へ向かっていた。
見上げる空には、
数えきれないほどの小さなうろこ雲。
群青の名残を抱きながら、
少しずつ白へと姿を変えている。
ああ。
この雲のひとつひとつは、
昨日、私が自分自身に問いかけた
小さな記憶なのかもしれない。
昨日は、
ずいぶん自問自答を繰り返した。
過去の私。
今の私。
そして、
これからどう生きていきたいのか。
そんな思いを、
清少納言と吉田兼好の感性のあわいに重ね、
ひとつの文章にしてみた。
あの文章、
自分でもちょっと気に入っている。
言葉にするということは、
心の中に積もったものを
外へ解き放つことなのかもしれない。
でも、
ただ吐き出すだけではない。
散らばった思いを拾い集め、
ひとつずつ形にしていく。
そうすることで、
自分でも知らなかった自分に
出逢えることがある。
昨日の私は、
言葉の中で自分を探していた。
そして今朝の私は、
空の中に自分を見つけようとしている。
なんだか、
すべてがつながってきた気がした。
やがて、クスノキの前。
いつものように、
心の中で女神様に話しかけた。
ねえ、女神様。
今日はお願い事、
二つでもいいかしら。
ひとつは、
早くあなたに逢いたいということ。
もうひとつは、
今日、
少しでもドアが開いてほしいということ。
ふふふ。
二つもお願いしたら、
欲張りだと思われるかしら。
でも、
この二つはどちらも、
今の私の素直な願いなのだ。
叶うかどうかは、
もう私の手の届かないところ。
だから、そっと心を預けた。
そして歩き出す。
赤レンガ倉庫の向こうに、
美しい雲が広がっていた。
あっ!思わず足を止めた。
やわらかなピンク色に染まった雲が、
東の空へ向かって
大きく羽ばたいている。
まるで、
これから飛び立とうとする鳥のよう。
ああ、綺麗。
そして、ふと思った。
あれは、今の私の心なのかもしれない。
ようやく自分の立ち位置に気づき、
これから新しい世界へ
羽ばたこうとしている私。
その心の鼓動が、
空いっぱいに広がっているようだった。
雲の周りには、
まだ薄いグレーが残っている。
きっと、あれは、
これまで自分を中途半端だと思い、
どこか否定していた心の名残。
けれど、そのグレーさえも、
朝の光がやさしく包み込んでいる。
消し去るのではなく、
否定するのでもなく。
そのまま受け止めながら、
少しずつ明るい色へと染めていく。
ああ。
それでいいんだ。
これまでの私を、
無理に変える必要なんてない。
好きだったことも、
苦手だったことも。
迷ったことも、
立ち止まったことも。
そのすべてを抱きながら、
これからを歩いていけばいい。
そう思ったとき、
真正面から強い風が吹いてきた。
風さん。
今日は、ずいぶん力強いのね。
けれど、私はもう、
風に押し戻されることを
恐れなくてもいいような気がした。
時には立ち止まり、
時には陰に身を寄せて、
風をやり過ごすこともあるだろう。
それでも、
その都度どう生きるかを考えながら、
また歩き始めればいい。
そう。
まっすぐ生きるということは、
決して立ち止まらないことではないのだ。
ふと、再び空を見上げた。
うわあ。
なんて綺麗。
先ほどの雲は、
さらに鮮やかなピンク色に染まり、
その下には、
幾重にも重なる雲海が広がっていた。
まるで、
ピンクの炎が光の渦となって、
空いっぱいに燃え広がっているよう。
群青鏡。
今朝もまた、
私の心をそのまま映してくれている。
でも、いつもの群青鏡とは
少し違って見えた。
これまでは、
自分の心の奥を覗き込むように
空を見上げていた。
けれど今朝は、
そこに新しく灯った光を、
まっすぐ受け取ることができる。
私は、私のままでいい。
理系でも、文系でも。
デジタルでも、アナログでも。
そのあわいを、
自分の心の赴くままに歩いていけばいい。
それは、
どこにも着地できなかった私が
ようやく見つけた、
新しい生き方なのかもしれない。
そして、
もうひとつ思った。
このピンクの炎を、
ずっと心の中に灯しておこう。
これから先、
また迷う日が訪れたとしても。
今日という朝に、
自分自身へ向けて灯した光を
忘れないように。
遠く、東の空が明るくなってきた。
夜の名残が薄れ、
新しい朝が近づいている。
私は、その光を魅つめながら、
静かに歩き続けた。
今朝、群青鏡が見せてくれた
私の新しい心模様。
その続きには、
いったいどんな風景が
待っているのだろう。
— Morimura