玉楠は見ていた〜黒船が来た日、名もなき人々の物語〜
勃つねで応援-
-
共有で応援
ペリー来航。
この言葉を聞いて、
私の頭に真っ先に浮かぶのは、
歴史の教科書で習った黒船と、
開国という二文字。
1854年、ペリーが横浜に上陸。
そして、日米和親条約の締結。
日本が長く閉ざしていた扉を、
世界へ向けて開き始めた歴史の転換点。
けれど、私が知っていたのは、
せいぜいその程度だった。
今日、横浜開港資料館を訪れた。
正直なところ、展示をひと通り眺めても、
最初はそれほど心が動かなかった。
ところが、ある一枚の絵に目が留まった。
ペリー来航を迎えた
当時の人々の様子が描かれていたのだ。
幕府の武士たちは大騒ぎ。
異国から現れた巨大な黒船。
見たこともない姿の外国人たち。
いったい何が始まるのか。
国を守らなければ。
何が起きているのか、
早く知らせなければ。
そんな緊迫した思いを抱え、
あちらへこちらへ駆け回る
武士たちの姿が目に浮かぶ。
早馬を飛ばし、情報を集め、
対応を協議する。
おそらく、彼らにとっては
国の行く末が懸かった一大事だったのだろう。
ところが。
その一方で、庶民たちはどうだったのか。
私が見た絵には、
なんとも興味深い光景が描かれていた。
まるで、お祭りでも見物するかのような人々。
高いところから眺めたり、
珍しいものを見つけたように集まったり。
「おい、見ろよ。でっかい船が来たぞ!」
「なんだ、あの格好は!」
「いったい、どこの国から来たんだろうねえ」
そんな声まで聞こえてきそうだった。
ふふっ。
なんだか、面白い。
もちろん、当時の庶民が誰も
恐れなかったわけではないだろう。
不安を感じた人も、
遠巻きに様子をうかがった人も
いたに違いない。
けれど、あの絵を眺めていると、
歴史の大事件も、
人々の立場によって、
まったく違う景色として
映っていたのではないかと思えてくる。
国の行く末を案じる武士。
珍しい異国の船に好奇心を膨らませる庶民。
同じ黒船を見つめながら、
心の中に描いていたものは、
それぞれ違っていたのかもしれない。
歴史は、誰の目から眺めるかによって、
まったく違う表情を魅せる。
そんなことを考えながら、
資料館の中庭へ目を向けた。
そこには、一本の木が立っていた。
玉楠。
名前には「楠」とあるけれど、
実際にはタブノキという。
この木は、ペリーが横浜へ上陸した頃から、
この地に根を張っていたという。
当時の上陸の様子を描いた絵にも、
その大きな姿が残されている。
あら。
そうなのね。
ということは、
この木は、あの日の出来事を
見ていたのかもしれない。
もちろん、木が人間のように目を持ち、
耳を澄ませていたわけではない。
けれど、そう思って見上げると、
ただの一本の木とは思えなくなってくる。
黒船が現れた日。
大勢の人々が行き交い、
武士たちが緊張し、
庶民たちが好奇心を寄せた日。
玉楠は、ただ黙って、
そこに立っていた。
誰の味方をするでもなく。
誰かの言葉に頷くでもなく。
ただ、その時代を生きていた。
そして私は、ふと考えた。
もし、この木が言葉を話せたなら、
何を語ってくれるのだろう。
歴史の教科書には書かれていない、
小さな出来事。
黒船を見て目を丸くした子ども。
慌ただしく走り去る武士の背中。
仕事の手を止め、海の向こうを眺めた村人。
その日の夕暮れ、
家族の食卓では、
どんな話が交わされたのだろう。
「今日は妙な船が来たねえ」
「これから、どうなるんだろうね」
そして翌朝には、
何事もなかったかのように、
いつもの暮らしが始まったのかもしれない。
人々には、その出来事が
後世の教科書に載るなど、
知る由もなかっただろう。
歴史の転換点とは、
過ぎ去ってから初めて、
その大きさに気づくものなのかもしれない。
それから5年。
1859年、横浜は開港した。
小さな農漁村だった横浜に、
異国の商人たちが集まり、
日本各地からも人々がやって来る。
街並みが変わる。
言葉が変わる。
暮らしが変わる。
海を渡って、
さまざまな文化が流れ込んでくる。
玉楠は、その変化も見つめていたのだろう。
やがて明治という新しい時代が訪れ、
横浜は国際港湾都市として発展していく。
ところが、この木の歩んだ道は、
決して穏やかなものばかりではなかった。
1866年の大火。
そして1923年の関東大震災。
大きな災害に見舞われ、
幹を失いながらも、
残された根から再び芽を出したという。
なんという生命力だろう。
人間が築いた建物は崩れ、
街の姿は変わっていった。
けれど、玉楠は根を残し、
また新しい枝を伸ばしてきた。
形を失っても、命の根までは失わなかった。
私は、そこに不思議な力強さを感じた。
そして、今朝魅つめていた
横浜三塔の姿を思い出した。
キング、クイーン、ジャック。
あの三塔が生まれた時代も、
この木は生きていた。
今朝、私が魅つめた
クイーンの美しいティアラ。
キングの堂々たる威厳。
ジャックの愛らしい時計塔。
その建物たちが誕生するより、
ずっと前から玉楠は、
この街の移り変わりを見守ってきたのだ。
そう思うと、なんだか三塔まで、
この木の子どもたちのように思えてくる。
そして今、私もその歴史の続きを生きている。
あの日、黒船を見物していた名もなき人々。
その人々と私との間には、
170年以上という長い時間が流れている。
けれど、同じ横浜の空を見上げ、
同じ海から吹く風を感じている。
あの人たちが眺めた海と、
今日私が眺めている海。
姿は変わっても、
そこにはきっと、
時代を越えてつながる何かがあるのだろう。
私は、もう一度、玉楠を見つめた。
その枝の向こうには、
今日の空が広がっている。
ペリーが上陸した日にも、
こんなふうに風が吹いていたのだろうか。
人々の笑い声や、
驚きの声が聞こえていたのだろうか。そして、あの木は何を感じていたのだろう。
答えは、わからない。
けれど、それでいい。
歴史とは、書き残された出来事だけではなく、
そこに生きた人々の息遣いでもある。
そして、その息遣いを想像することから、
私の小さな物語は生まれてくる。
今日、資料館で私の心を動かしたのは、
華やかな展示物ではなかった。
一本の木と、名もなき人々の姿だった。
あの日、誰も知らなかった未来。
その未来の中に、今の私がいる。
玉楠は、今日も静かに立っている。
何も語らず、ただ風に枝を揺らしながら。
そして私は、心の中でそっと問いかけた。
ねえ、玉楠。
あなたは今日の私を、
どんなふうに見ていたのかしら。
— Morimura