十月二十日。

かつて、
この日に綴った一篇の随筆を読み返していた。
題名は『そばと私』

新そばの季節に、
旅先で偶然出逢った一冊の本から、
そばという食べものの奥深さを思い、
やがて人生へと心を巡らせた文章だった。

読み進めているうちに、ふと手が止まった。
そこには、こんなことが書かれていた。
「線状のものにはきちんと、
始まりと終わりがあります。
これは人生や寿命を、暗示しているのではないでしょうか」

ああ、私は
こんなことを考えていたのか。
思わず微笑んだ。

一本のそば。
細く、長く、しなやかでありながら、
確かなこしを持つ。
その一本に、
始まりと終わりのある人生を重ねていた。

そして文章の最後には、こう綴っていた。
「こしのある上等なそばに出会ったとき、
自分の人生もかくありたいと思います」
なんとも私らしい。

食べものを前にして、
その味わいだけでは飽き足らず、
とうとう人生の話にまで
たどり着いてしまうのだから。

けれど、不思議なことに、
今の私もまた、
一本の線から人生を考えていた。
それが、今朝生まれた「ゼロの旅人」
という思索だった。

夜明け前の群青の空。
雲の切れ間に開いた小さな窓から、
一つ、また一つと星が顔をのぞかせる。
その星たちを追いかけているうちに、
懐かしい歌がよみがえり、
遠い記憶が目覚め、
いつの間にか自分自身の人生を旅していた。

そのとき、ふと浮かんだのが数直線だった。
原点はゼロ。
けれど、そのゼロは、
生まれたときの私ではない。
今、この瞬間を生きている私。

そこを原点として、
過去へも未来へも心を旅立たせる。
懐かしい記憶を拾い、
忘れていた言葉に出逢い、
そこから新しい思索を紡いでいく。
そして、再び今というゼロへ戻ってくる。

ああ、なんと面白いことだろう。
かつての私は、
一本のそばの線に、
人生の始まりと終わりを見ていた。
けれど今の私は、
一本の数直線に、
どこまでも広がっていく世界を
見ようとしている。

考えてみれば、
人生の時間そのものを巻き戻すことはできない。過ぎ去った昨日へ、
本当に戻ることなどできないのだから。

それでも、心は自由だ。
一つの言葉から、
遠い昔へ旅立つことができる。
一つの香りから、
忘れていた景色を思い出すこともできる。

そして、そこで見つけた何かを、
今の自分へと持ち帰ることができる。

時間は一方向に流れていても、
心はその流れを自由に行き来する。
私は、その不思議さに
魅せられているのかもしれない。

そして、もう一つ。
私にとって、数直線は、
もはや単なる一本の線ではなかった。
その周囲には、
星雲のように無数の知識や記憶、
経験が広がっている。

一つの疑問が生まれる。
その疑問に関係する知識を探し、
拾い集め、結びつける。
すると、一本の線だったはずの世界に、
面が生まれる。
さらに奥行きが生まれ、
立体的な世界へと広がっていく。

まるで、夜空に散らばる星々を結ぶことで、
一つの星座が生まれるように。
そして、そこへ自分自身の足で
踏み込んでいけば、
また新しい物語が始まる。

今朝の私が、まさにそうだった。
星から音楽へ。
音楽から記憶へ。
記憶から思索へ。
そして思索から、再び今の私へ。
その旅を終えたとき、
原点のゼロは、以前より少し太く、
鮮やかになっているように感じられた。

不思議なゼロだ。
数学の世界では、
ゼロという数そのものが変わるわけではない。
けれど、そこに立つ私自身は、
絶えず変わり続けている。

昨日もゼロ。
今日もゼロ。
けれど、昨日の私と今日の私は、
決して同じではない。

新しい知識が加わる。
そこから新しい気づきが生まれる。
そして、その気づきが、
これまでの記憶や考え方に、
また違った光を当ててくれる。
だから私は、発見することが好きなのだろう。

知らない道を歩くこと。
人の話に耳を傾けること。
一枚の紅葉に足を止めること。
そして、何気ない日常の中に、
小さな疑問を見つけること。
そこから何かを学び、
自分自身の暮らしや人生へと生かしていく。
それが、私にとっての学ぶ喜びなのだ。

さて、もう一度、
かつての『そばと私』に戻ってみよう。
あの文章には、
そばの持つ「渋さ」や「侘しさ」、
そして気取らない素朴さへの思いも
綴られていた。

上等なそばは、
さまざまな心遣いの上に成り立っていながら、
そのことを声高に主張しない。
ただ、一本のそばとして、静かにそこにある。

私は、そんなそばのありように、
どこか人の生き方を重ねていたのだろう。
そして今、その思いは、
少しも変わっていないことに気づいた。

むしろ、以前よりも深く
感じられるようになっている。

一本のそばは、食べればなくなる。
けれど、その味わいから得た感動や思索は、
心の中に残り続けることがある。
それが別の記憶と結びつき、
また新しい意味を生み出していく。

そう考えると、
一本のそばの始まりと終わりも、
決して単純なものではないのかもしれない。

形あるものには終わりがあっても、
そこから生まれた思いには、
さらに続く道がある。
かつて綴った言葉が、
今朝の私の思索につながったように。

そして今朝の思索もまた、
いつか未来の私に、
新しい発見を
もたらしてくれるのかもしれない。

そう思うと、なんだか嬉しくなってきた。
私が日々紡いでいる小さな物語たち。
その一つひとつも、
いつか思いがけないところで結びつき、
新しい世界を生み出していくのだろう。

だからこそ、私はそれらの物語に、
いつでも帰ってこられる場所を
作ってあげたいと思っている。

そして、その場所から、
また新しい旅へと出かけたい。

ああ、そうか。
私のゼロは、帰る場所であり、
旅立つ場所でもあるのだ。

原点があるから、
安心して遠くへ旅することができる。
そして、遠くへ旅するからこそ、
原点に戻ったとき、
新しい自分に出逢うことができる。

十月二十日。
一本のそばから人生を思った、
かつての私。

そして、一本の数直線から、
大星雲のような世界を思い描いた、
昨日の朝の私。
どちらも、確かに私自身なのだ。

過去の自分に、今の自分が新しい光を当てる。
すると、かつて綴った何気ない言葉が、
思いがけない輝きを放ち始める。
これもまた、
私の好きな「いとをかし」の世界なのだろう。

そして、ふと新そばの香りが恋しくなった。
今度、一杯のそばに出逢ったら、
私は何を思うのだろう。

一本の線の始まりと終わりだろうか。
それとも、その線の向こうに広がる、
無数の星々だろうか。
おそらく、どちらでもあるのだろう。

一本のそばに人生を見つめ、
一本の数直線に宇宙を見つめる。
そんな自分を、私は少し愉快に思う。

そして今日もまた、
今というゼロに立っている。
かつての私が綴った言葉を携えて。
今朝生まれた新しい思索を抱きしめて。

さあ、ここからまた、どんな世界へ旅立とう。
風の向くまま、気の向くまま、
心のまま、ひらめくままに。

私というゼロから広がる世界には、
まだまだ知らない物語が眠っているのだから。

— Morimura