少し蒸し暑さを感じる朝。
それでも、その中には、
ひんやりとした心地よさを
運んでくれる風が吹いていた。

風は私の周りを
くるくると回りながら通り過ぎ、
また次の風がやって来る。
その繰り返しが何とも心地よく、
私は軽くウォーミングアップを済ませると、
迷うことなく歩き始めた。

8日ぶりの、
こちらでの朝ウォーキングである。
吹き抜ける風に耳を澄ませながら、
まっすぐ前へ進む。
海辺ではない。
それでも街を吹き抜ける風には、
この街ならではの歴史や文化、
そして長い年月が刻まれた
伝統の香りが宿っているように思えた。

遥か昔から吹き続けてきた風が、
今日も変わらず私の肩を優しく押してくれる。
その風に包まれながら歩いていると、
不思議と東野圭吾さんのことが
頭に浮かんできた。
きっと昨日の訃報が
心のどこかに残っていたのだろう。

私は熱心なファンというわけではなかった。
それでもテレビドラマや書店で何
度もその名前を目にし、
日本を代表する作家として、
自然と存在が心に刻まれていた。

そして、その名前から、
私自身が「文章を書く」ということに
夢中になっていた頃の記憶が、
次々とよみがえってきた。

以前、私は本気で小説を書こうと
思ったことがある。
町家が並ぶ細路地の一角にある、
小さな本屋兼カフェ。
そこには小説講座があり、
興味を惹かれて通い始めた。

講座では、読者を惹きつける構成、
売れるテーマ、物語の組み立て方
――そんな技術が次々と語られていく。
なるほど、と感心した。
でも同時に、少しずつ違和感も覚え始めた。

私は、目の前の景色を誰かに届けたい。
風の匂い、木々の揺れ、光の色、
季節の移ろい
――そんな何気ない瞬間を、
自分の感じたままの色で描きたい。
けれど、講座で求められていたのは
「売れる物語」だった。

もちろん、それは間違いではない。
本として世に送り出す以上、
多くの人に読まれることは大切なのだろう。
それでも私は、
自分の心よりも先に
「売れること」を考えて文章を書くことが、
どうしてもできなかった。

一作目は、祇園を歩く
舞妓さんと芸妓さんを追いかける
外国人観光客を描いたエッセイだった。
思いがけず高い評価をいただき、嬉しかった。

そして二作目。
私は桜が散ったあとの新緑を書いた。
一面が緑に見える木々にも、
黄緑や黄色、橙色まで幾重もの色があり、
朝日が差し込めば
一本一本が命を宿したように輝く。
風が吹けば枝葉が揺れ、
隣の木とささやき合う。
森は、生きている。
そんな命の息吹を書いた。

自分では、こちらの方が
ずっと好きな作品だった。
けれど返ってきた評価は厳しかった。
「これでは売れない。」その一言だった。
私はその瞬間、
自分が書きたいものと、
求められるものとの違いを知った。
だから講座を離れた。

その後、コンクールに応募しようと思い、
ミステリーとは何なのかを知りたくて、
東野圭吾さんの作品を
夢中で読み続けた時期があった。
読み進めるうちに気づいた。
ミステリーとは、
派手などんでん返しや
複雑なトリックだけではない。
人の心があり、
その心が動いた先に自然と事件が生まれ、
物語が動き出していく。
そんな人間そのものを描く作品だった。

だから昨日の訃報は、静かに胸へ響いた。
そんなことを思い出しながら
歩いているうちに、気づけば40分。
いつものパワースポットへ着いていた。

朝から私と歩き続けてくれた風は、
体の周りをくるくると回りながら、
暑さだけではなく、
昨日まで心のどこかに残っていた
わだかまりまでも、そっと連れ去ってくれた。

そして新しい風が、真正面から私を包み込む。
遠く東の空を魅つめる。
雲に隠れながらも、
その向こうには
神々しい太陽の光が確かにあった。

一昨日までは、
この同じ太陽を横浜の海辺で魅つめていた。
場所は違っても、空はひとつ。
風も、光も、そして人との絆も、
見えないところでつながっている。
そう思うと、
不思議なくらい心が温かくなった。

朝の風と光に包まれ、
何も考えず、大きく深呼吸をする。
吸い込んだ澄んだ空気が、
胸いっぱいに広がり、
心の奥まで満たされていく。

そして私は思う。
今日という一日の物語は、
誰かのために書くものではない。
私が感じた風を、
私らしい言葉で紡げば、それでいい。
その先に、
同じ風を感じてくれる人が
一人でもいてくれたなら、
それはきっと、私だけの物語になる。
そう信じながら、今日も私は笑顔で、新しい一歩を踏み出した。