さらなる心地よい朝の風に
背中を押されるように、
私は今日という新しい一日の
第一歩を踏み出し、
今日の物語を紡ぎ始めた。

こんな朝に聴きたくなるのは、
Mrs. GREEN APPLEの「ケセラセラ」
伸びやかで爽やかな歌声に、
朝の清々しい自分の心が重なっていく。

軽快なリズムに合わせるように、
私の足もサクサクと前へ進んでいく。
歩きながら感じたこと。
目にした風景。
頬をなでる風。
この街の自然や穏やかな街並み。
そのすべてを思いつくままに受け止め、
頭の中で描いていく。

そして、それらは少しずつ
言葉へと変わっていく。
それが最近の私にとって、
一番大きな楽しみになっていた。
だから時間が許す限り、
自分の足が動く限り、
私はどこまでも歩いていけるような気がする。

朝の第一章を書きながら、
ふと以前通った小説講座のことを思い出した。

私は、自分の心に映る風景を
描くことが好きなのだ。
一枚の写真を撮るように、
その瞬間に感じた空気や温度、
風や光、
心の動きを、
誰かに届けるために文章へと紡いでいく。
その時間が、とても好きなのだと思う。

だからだろうか。
どんな曲を聴いていても、
本当に心に響く曲は限られている。
私が好きなのは、メロディーだけではない。
歌詞なのだ。

一つひとつの言葉が、
その時々の私の心に語りかけてくれる。
同じ歌なのに、
昨日とは違うことを感じ、
今日だからこそ心に残る言葉がある。

私は歌を聴いているというより、
歌の中に流れる言葉を
聴いているのかもしれない。

それはショートドラマも同じだ。
私は映像を観ているというより、
登場人物たちの言葉を聴いている。
時には激しく怒り、
時には優しく語り、
時には悲しみに暮れ、
そして幸せへの階段を一歩ずつ上っていく。

それぞれの人物が、
それぞれの立場で語り、
その想いが交差して、
一つの世界をつくり上げていく。
だから私は、
同じショートドラマを何度でも
観ることができる。

その日の気持ちによって、
受け取る言葉も、
感じる世界もまったく違うからだ。

本当は音だけを聴いて、
自分の頭の中で自由に映像を描いていたい。
けれど、中国語は
まだ字幕がなければ理解できない。
そこだけは少し残念に思う。

そんなことを考えながら歩いているうちに、
いつもの折り返し地点へ着いた。
辺りには人が増え、
車も走り始めている。
セミの鳴き声が、はっきりと耳に届く。

今はまだ、
どこか涼しげな風鈴の音のように聞こえる。
けれど、あと2時間もすれば、
その鳴き声は
真夏の暑さを運ぶ声へと
変わっていくのだろう。
そんな季節の移ろいを感じられるのも、
また「いとをかし」

歩数計を見た。
ここからゴールまでを思い描くと、
当初の目標だった12,000歩には
十分届きそうだ。
けれど、10kmを超えるには、
あと少しだけ足りない気がする。

コースを少し変えて、
遠回りでもしてみようか。
そんなことを考えながら歩いていた。

遠回りすることも、
寄り道することも、
それも人生。遠回りの先に。

寄り道の先に。
思いがけない景色が
待っているかもしれない。
思いがけない人とのご縁が
待っているかもしれない。
そして、思いもよらない小さな幸せ
――そんなセレンディピティに、
今日も逢えるかもしれない。