海へと解き放たれ、
朝の光の中で
輝くような舞を魅せてくれた風は、
やがて再び私の周りへと戻ってきた。

山下公園にさしかかると、
雲の間から
太陽が半分ほど顔をのぞかせていた。
今朝の太陽は、
風に主役の座を譲ってくれたようだ。
そして、風が魅せてくれた
素晴らしい舞への感激を、
自らの光で表現しているようにも魅えた。

私は中華街へと歩みを進めた。
今日と明日を過ぎれば、
またしばらく中華街とも離れる。
そう思うと、
目に映るものを一つひとつ丁寧に魅つめ、
感じ、
できることなら触れながら、
いつものジグザグコースを歩きたいと思った。

もちろん、
媽祖廟と関帝廟へのお参りも忘れない。
家族が今日一日を無事に過ごせますように。
穏やかで、幸せな時間に包まれますように。
そう願いながら、静かに手を合わせた。

ところが、珍しく曲がるはずの道を
うっかり通り過ぎてしまった。
間違いに気づいたのは、
目の前に萬珍樓が現れたからだ。
萬珍樓には、
これまで二度ほど訪れたことがある。
有名なお店だけあって、
料理はどれも独創性に富み、
本当に美味しかった。
中でも、
私の大好きな北京ダックは絶品だった。
料理を運んでくれた女性に、
「美味しいですね。
本当にすごく美味しかったです」
と思わず言葉がこぼれたことを、
今でもよく覚えている。

なかなか営業時間内に
訪れる機会はないけれど、
ぜひまた行ってみたい。
その中でも、比較的挑戦しやすそうなのが、
土日祝日限定の「朝粥と飲茶定食」だ。
8:30から営業しているらしいから、
朝の時間をうまく組み替えれば、
何とか訪れることができそうだ。

ただ、そのためには、
朝ウォーキングや朝そばの段取りを、
あれこれ入れ替えなければならない。
それもまた、
楽しみのための小さな作戦会議になりそうだ。

昨日見つけたサルスベリの花が、
今日も愛嬌のある笑顔で
中華街から私を見送ってくれた。
「また明日ね」
そんな声が聞こえてきそうだった。

そして私は、朝そばへと向かった。
お腹は、
もう限界と言ってもいいくらい空いていた。
今日も、冷やしメニューの中で
一番気に入っている
冷やし長なすそばにしよう。
ネギは多め。
そこへ天ぷらも一つ添えたい。
エビ天。昨日と同じイカ天。ちくわ天。
それとも、なす天。
けれど、冷やし長なすそばには、
すでに長なすが入っている。
そこへなす天を加えたら、
まさになすび三昧だ。

紅生姜天やかき揚げ天は、
今朝の気分には少し脂っこそうだし、
コロッケは、
なんとなくそばの雰囲気に
合わないような気もする。
やっぱりイカ天かな。
そんなことを考えながら歩いていると、
心の中では、
よだれがたらたらと流れているようだった。

お店に着いたのは、開店の10分ほど前。
だいたいいつも、この時間の前後になる。
店先で待ちながら、
私はいつものように日記を書いていた。

すると、すぐに店員の方が
注文を聞きに来てくれた。
その瞬間まで、
天ぷらを何にするか迷っていた。
ところが、口をついて出た言葉は、
「冷やし長なす、ネギ多め。なす天で」

なぜ、なす天を選んだのだろう。
そう思った次の瞬間、
ここではまだ、
なす天を食べたことがなかったことを
思い出した。
だから、今日の朝そばは、
冷やし長なすそばになす天。
名づけて、なす三昧。



長なすのやわらかな食感と、なす天。
似ているようで、
味わいも舌触りもまったく違う二つのなすを、
一杯のそばの中で楽しむ。
なかなか贅沢な朝ではないか。

それにしても、ここのそばは、
しっかりと締まっていて、
コシがあり、噛み応えがある。
この力強い食感は、
私の好きな十割そばにも引けを取らない。
だから、
私はこのそばが好きなのかもしれない。

そばを噛んで、噛んで、また噛んでいると、
あの曲の出だしが心の中によみがえった。

激しい風が、心に舞う。
新しいスタートを切れば、
いつもやわらかく心地よい風ばかりが
吹くわけではない。
ときには、前へ進む足を
押し戻そうとするような、
激しい風も吹いてくる。

けれど、そばをしっかりと噛みしめていると、
なぜかその風に背を向けるのではなく、
真正面から向かって走り出したくなる。
そんな勇気が、
体の奥から少しずつ湧いてくるのだ。

本当に、私にとって朝そばの時間は不思議だ。
ただ、朝ごはんとして
そばを食べているのではない。
新しい一日の入り口に立ち、
胸を張り、どんな風が吹いても
前へ進んでいけるように、
心と体を整える時間なのだと思う。
だから私は、
毎日のようにここへ通うのだろう。

今日も、お腹が満たされた。
そして、それ以上に心が満たされた。
新しい一日へ飛び出していくための勇気も、
しっかりともらった。

それでは、そろそろ大岡川の方へ向かおう。
でも、その前に、
馬車道のベンチで
少しだけ休憩した方がよさそうだ。
この時間、このベンチは、
まるで私だけを待っていてくれる
専用席のようになっている。

腰を下ろすと、
海から私についてきた風が、
またそっと頬をなでた。
朝の舞を終えた風は、
今度は静かに私の隣へ座り、
今日という一日が動き始めるのを、
一緒に見守ってくれているようだった。