外は生ぬるく、
まるで自分が茹で上がった
ゆで玉子になってしまったような気分だった。
風はなく、空気は蒸し暑い。
気温もかなり高そうだ。

寝不足のせいか、
頭の中もぼんやりとしている。
風が欲しい。
ほんの少しでもいい。
頬をそっとなでるくらいの風でいいから、
私のところへ吹いてきてほしい。
そんなことを思いながら、
今朝のウォーキングを始めた。

昨夜は、もう一日の物語が終わった
と思っていた。
ところが、そのあとにもう一つ、
思いがけない小さな物語が始まり、
いつもより遅い終幕となった。
部屋へ戻ったのは、
確か2時を回っていたように思う。

いつもの寝る前のひとときも、
お顔のパックも、
この日はすべてお休み。
最小限のことだけを済ませ、
眠りについた頃には、
時計の針は2:30を回っていた。

本当なら、自分へのご褒美に
ショートドラマを観たかった。
けれど、どうやら私にとっては、
朝のウォーキングこそが、
ショートドラマを観ることよりも、
何よりのご褒美らしい。

朝4時に起きて歩きたい。
日の出を魅つめたい。
風と戯れたい。
静かな中華街を歩いて回りたい。
朝のお蕎麦を味わいたい。
そして、大岡川のほとりで、
もう一度風と戯れたい。
その思いの方が強かったから、
わずかな睡眠時間でも、
私は迷わず朝のウォーキングを選んだ。

昨日、ずっと気になっていた歌があった。
「風が私を呼んでいる」
一つひとつの歌詞の扉を開き、
一つひとつの言葉を丁寧につないでいく。
その歌全体に流れている景色や、
歌が伝えようとしている思いを、
自分なりにゆっくりと紐解いていった。
すると、歌の中を流れている世界が、
私が朝のウォーキングで感じている風景と、
静かに重なり始めた。

風が私を呼んでいる。
鳥が私を呼んでいる。
雲が私を呼んでいる。
木々が私を呼んでいる。

本当に、自然のすべてから
呼びかけられているような気持ちになった。
その世界が見えたことが、
たまらなく嬉しかった。

だから今朝は、歩き始めるとすぐに、
その曲を流した。
どこかから聞こえてくる呼び声を頼りに、
私は真っすぐに歩いていく。
歩けば歩くほど、
私を呼ぶ声は少しずつ大きくなっていく。
それにつれて、港の方から、
やんわりと風が吹いてきた。
まるで、「こちらへおいで」そう言いながら、
私を海へと誘っているような風だった。

その風が呼ぶ方角へ、
無心になって歩いていく。
けれど、時折、風はぴたりと止んでしまう。
今朝の風は、どうやら少し意地悪らしい。
風がなくなると、
蒸し暑さが一気に体へまとわりついてくる。

全身にじっとりと汗をかき、
特に帽子と額が触れているところは、
汗でくっついてしまったようで気持ちが悪い。
帽子を取り、タオルで額の汗を拭った。
その瞬間、熱が少し逃げていき、頭の中がすっと爽やかになったような気がした。

それでも、やはり風が欲しい。
ほんの少しでいいから、風が欲しい。
さっきまで私を呼んでいた声は、
いったいどこへ行ってしまったのだろう。

暑くて、眠たくて、足元もどこか頼りない。
ふらふらと揺れながら歩いている私。
歌の中に出てくる、ちどり足。
これが、まさしくちどり足なのかもしれない。
そんなことを思いながら、
新港中央広場の入り口へ入った。

すると、鮮やかなひまわりと、
愛らしいサルスベリが私を迎えてくれた。
鮮やかな花々の色が
目から飛び込んできた瞬間、
ぼんやりとしていた頭が、
さっと刺激された。
眠っていた感覚が目を覚まし、
心の奥にまで明るい光が
差し込んできたようだった。
私は思いきり両手を広げ、胸を張った。

もう、風が吹いてくるのを待つのはやめよう。「風が私を呼んでいる」と、
ただ呼ばれるのを待つのではなく、
今度は私が風を呼ぶのだ。
私が、風をこちらへ引き寄せる。
私の力で、私の方へ風を吹かせる。
そんな少し強引な思いを胸に、
季節の花々を魅つめながら歩いた。

すると、本当に風が吹いてきた。
私の方へ、まっすぐに吹いてきた。
いつもより少し柔らかく、
頼りないほどの微かな風だったけれど、
私はその風を全身で受け止めた。
わずかな風も逃したくない。
そんな思いで風に身を委ねながら、
港へと歩を進めた。
海へ向かう。朝の光を魅るために。

海上保安資料館の辺りから、
大さん橋の入り口を目指して歩く。
海との間に続く柵に沿いながら、
左手に広がる空を魅つめた。
太陽は雲の向こうに隠れている。
それでも、
雲の隙間からこぼれるわずかな光が、
空も海も、
その辺り一面を美しい色に染めていた。

雲がある。
海がある。
鳥が飛んでいる。
そして、柔らかな風が吹いている。
自然の中で生きているものたちが、
今朝は一斉に私を迎えてくれているようだった。

歌の中に描かれていた景色と、
今、私の目の前に広がっている朝の風景が、
あまりにもぴったりと重なっている。
その不思議なほどの重なりに、
私の心は共鳴し、震えるようだった。

本当に、いい曲だ。
耳で聴いているだけでは
わからなかった世界が、
自分の足で歩き、
風に触れ、
空を魅つめることで、
少しずつ心の中に姿を現していく。
今朝、私は歌を聴いているのではなく、
歌の世界の中を歩いているのかもしれない。
そんな気さえした。

大さん橋の方へ歩いている途中、
ふと体の向きを変え、太陽に背を向けた。
すると、空には月が浮かんでいた。
朝の太陽と、まだ空に残る月。
海と雲と鳥。
花々と、微かな風。
あまりにも出来すぎているような
今朝の風景に、
心を奪われるというよりも、
不思議と笑みがこぼれた。
今日は、朝から素晴らしい
ご褒美をもらったような気がする。

もしかすると、
今日が、しばらくの間では最後となる
横浜での朝のウォーキングだからだろうか。
明日からしばらく、
こちらでのウォーキングはお休みになる。
だからこそ、昨夜がどれほど遅くなっても、
睡眠時間がどれほど短くても、
今朝はどうしても歩きたかった。

横浜の風に触れたかった。
港の朝を魅つめたかった。
私の大切な場所まで、
自分の足で歩いていきたかった。
そんな私の思いが、
天へ届いたのかもしれない。

ちどり足になりながらも、
私はようやく、
いつものパワースポットへたどり着いた。

そこで私の目に映ったのは、
朝の空に赤銅色の神秘的な輝きを放つ太陽と、
その光の筋を、
まるで私の方へ
差し伸べてくれているような海だった。

水面に映る光は、ゆらゆらと揺れながら、
きらきらと輝いている。
寄せては離れ、離れてはまた近づいてくる。
まるで、海そのものが呼吸をしながら、
光を私のもとへ運んでくれているようだった。
そこには、言葉では言い表せないほどの
神秘的な世界が広がっていた。

私は、その神々しい世界の中に、
そっと身を置いた。
すると、心の中に残っていたわだかまりも、
もやもやとした思いも、
心配も、不安も、恐れも、
いつの間にかどこかへ消えていた。
何もなくなった。
心の中が、空っぽになった。
けれど、それは寂しい空白ではなかった。
余計なものがすべて洗い流され、
新しいものを迎え入れるために用意された、
澄みきった空間だった。

その空っぽになった心の中へ、
朝の光がすっと入ってきた。
続いて、柔らかな風が流れ込んできた。
光と風が、私の心を静かに満たしていく。

新しい一日が、今、始まろうとしている。
海から私へと伸びてくる光の筋。
その光の先へ向かって、
今日も凛として歩いていきたい。
急がなくてもいい。
ちどり足になってもいい。
立ち止まり、風を待つ朝があってもいい。
風が来ないのなら、私が風を呼べばいい。
そして、また顔を上げ、
一歩ずつ前へ進めばいい。

朝の光と柔らかな風を心にまといながら、
今日も自分らしく、真っすぐに。
そう思い、私は光の筋へ向かって、
新しい一歩を踏み出した。