歩き始めて、
もうすぐ四十分がたとうとしていた。
細い路地を道なりに、
まっすぐ、まっすぐと歩いていく。
その先には、
私が「小さな千日回峰行」のような
気持ちになれる、
お気に入りの見晴らしの場所がある。
路地の向こうから、
すっと風が吹き込んできた。
気持ちのいい風が髪を揺らす。
あまりにも心地よかったので、帽子を取った。
汗で少し湿った髪が、
風に身を任せるように軽やかに揺れる。
また風が吹く。さらに風が吹く。
風が私を呼んでいる。
雲が私を呼んでいる。
木々も私を呼んでいる。
「さあ、あの場所へ行こう」
そんな声が聞こえてくるようだった。
街並みを見下ろす。
やはり、ここから眺める景色が一番美しい。
まだ夜が明けきらない早朝。
街は静かな眠りの中にあり、
人々が動き出すには、
まだ少し早い時間だった。
その静けさには、昼間とは違う魅力がある。
私は、まだ眠る街を見つめながら、
その美しさに心を揺さぶられていた。
すると、また風がやってくる。
私の周りを、くるくると優しく舞う。
そして、また風。
さらにまた風。
次々に吹き寄せる風は、
まるで今日という
新しい一日に向かうための力を、
私の身体いっぱいに
吹き込んでくれているようだった。
残念ながら、日の出まではあと三十分。
今日はいつもより
三十分早く歩き始めたのだから仕方がない。
ここで三十分待つわけにもいかない。
ふと耳を澄ますと、
私の後ろを走る道路を車が一台、
静かに走り過ぎていく。
しばらくすると、
また一台。
もう一日を始めている人たちがいる。
その気配を感じながら後ろを振り向くと、
道路の向こう側からも風が吹いてきた。
汗ばんだ肌を風が優しくなでる。
そのひんやりとした心地よさに包まれて
空を見上げると、
そこには月が浮かんでいた。
静かで、それでいて神々しい光。
太陽とは違う輝きなのに、
負けないほど力強く、美しい。
私は、その月の光から、
今日を歩き続けるための
力をいただいたような気がした。
トラックが通り過ぎる。
車が通り過ぎる。
少しずつ交通量が増え、
街が目を覚まし始める。
空の色も、時間とともに
ゆっくりと表情を変えていく。
その変化を見守るように、また風が吹く。
たくさんの風が吹いてくる。
「お月さん、私も今日の新しい一歩を
踏み出そう」
月の光にそっと背中を押されながら、
忙しい今日という一日を、
一歩ずつ大切に歩いていこう。
そんな勇気をもらえた、
私だけの朝のパワースポットだった。
そして今日、私は初めて知った。
自分の後ろを振り向けば、
そこに月が輝いていたことを。
いつも前だけを見つめて歩いていたから、
気づかなかった景色。
きっと今日は、
いつもより早い時間だったからこそ
出逢えた光なのだろう。
前を向いて歩き続けることは大切。
でも、ときには後ろを振り返ってみる。
そこには、
今まで気づかなかった美しい景色や、
そっと見守ってくれていた
優しい光が待っているのかもしれない。
今朝の月は、
そんなことを
静かに教えてくれたような気がした。
月が教えてくれた、振り返るという優しさ
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