そろそろ、出発の時間だ。

お昼ごはんには、
昨日買っておいたカレイ一匹
丸ごとの唐揚げを食べた。
それと、ゆで玉子。

これで、こちらにいる間は、
思う存分魚を食べたような気がする。

たまたま買って食べた、
ニシンとなすの揚げ浸し
がとても美味しかった。
しかも期間限定で、
11日までしか売っていないと
言われたものだから、
また欲張って二つ買いに行った。
そのうえ、
うなぎの蒲焼きまで買ってしまった。

ニシンを三回。
うなぎ二回。
そして今日のカレイ。
我ながら、よく食べた。

横浜に行くと、おにぎりとゆで玉子、
それに朝そばくらいしか食べない。
たまに、からあげクンを食べる程度。
魚といえば、
朝そばにイカ天を入れたときくらいだ。
だからなのか、
自宅へ帰ってくると、
無性に魚が食べたくなる。

そんなことを思いながら、時計を見る。
そろそろ、本当に出かける時間が迫ってきた。

私の心はまだこちらに少し残っている。
けれど、頭の中ではもう、
山の向こう、雲の向こう、
遥か遠い横浜へ思いを馳せ始めていた。

外は、とても蒸し暑い。
雨は降りそうで、降らない。
横浜のお天気はどうなのかしら。
傘は持って行ったほうがいいのかしら。

そんなことを考えながら、
ベランダに立っていた。
すると、蒸し暑い空気の中に、
ひと筋だけ涼しげな風がやってきた。


ああ。私の風さんね。
そろそろ出発の時間だよ、
と知らせに来てくれたのだろうか。
そして少しすると、
今度は別の方向から、
もうひとつ風がやってきた。
ああ、横浜から迎えに来てくれたのね。
「もう行くから。一緒に連れて行ってね」
心の中で、そう話しかけた。

家族はその頃、
お仏壇をきれいに掃除し、
お盆にご先祖様を迎える準備を
着々と進めていた。
そんな日に旅立つことに、
ほんの少し申し訳ない気持ちになる。
でも、お供えのお菓子は
昨日のうちに買っておいた。
だから、きっと許してもらえるだろう。

風は、生ぬるい。
それでも、だんだん強くなってきた。
着替えたワンピースに風が当たり、
裾がふわり、ふわりと揺れ始めた。

横浜の風が、私を呼んでいる。
早くおいで、と。
そしてこちらの風は、
また早く帰ってきてね、と。
まるで、それぞれ違う言葉で、
私に別れと出発の挨拶を
してくれているようだった。

不思議だ。
少し前までは、
こちらに心を引っ張られていたのに。
今は少しずつ、
横浜へ向かうスイッチが入り始めている。

まだ全部ではない。
心の片隅には、家族との朝の時間も、
優しい電話も、
迷子になったタオルも、
こちらの風も残っている。

それでもいい。
全部置いていく必要なんてない。
抱えたまま、行けばいい。
こちらの風も。
横浜の風も。
どちらも私を呼んでくれている。
どちらにも、私の居場所がある。

そう思うと、
旅立つことが少しだけ軽やかになった。
準備はできた。
荷物もできた。
心も、もう少しで追いつく。
さあ。そろそろ駅へ向かおう。
こちらの風に見送られながら。
そして、横浜の風に迎えられながら。