風、走る…
今朝、二作目の日記は、
大さん橋のパワースポットに座って書いていた。風を感じながら。
光を感じながら。

書き終えて、また歩き始めた。
いつもなら山下公園へ向かうところだけれど、
今日は行かないことにした。

山下公園の向かい側、海岸通りを歩いてみる。
ほんの道一本、
いつもと違うところを歩くだけなのに、
見える景色も、建物も違う。

工事現場のバリケードまで、
なんだかおしゃれだった。
漢字一文字がずらりと並び、
それぞれの文字から連想される
ビジュアルが描かれている。
ひとつずつ横目で眺めながら歩いていると、「匠」という文字が目に留まった。
添えられていたのは、チェロを弾く人の姿。
なるほど。
でも、私なら「匠」と聞いて
思い浮かべるのは、
やっぱり和食の板前さんかな。

そんなことを考えながら歩いていた。
そういえば、この道の名前を私は知らない。
ちょうど建物の前を掃除していた
女性がいたので、声をかけてみた。
「おはようございます。
ここは何通りって言うんですか?」
「ここは海岸通りって言うんですよ」

とても親切に教えてくださった。
同じ服装をした女性が三人ほど、
建物の前で掃除をしている。
何の建物だろう。
見てみると、創価学会の記念館だった。
ということは、
掃除をしていた方々は
信者さんだったのかもしれない。

時刻は6:50。 
そうだ。あと十分ほどで、
7:00開店のパン屋さんが開く。
確か馬車道駅の改札口あたりに、
パン屋さんがあるはず。
よし。
そこへ向かおう。

中華街はすっ飛ばして——と思ったところで、
ふと思い直した。
別に7:00ちょうどに
行かなければならないわけではない。
7:00を過ぎてから行けばいいだけだ。
だったら、やっぱり中華街へ行こう。
いつものようにお参りをして、
それからジグザグ中華街。
……のつもりだった。

途中でパン屋さんへのナビを確認すると、
媽祖廟を通り過ぎて、朱雀門を出て、
どうやら左へ向かうらしい。
ここで一時、中華街から離脱。
ナビに言われるまま、左。
また左。
歩いていく。

ところが、私が知っている馬車道駅とは、
なんだかずいぶん離れていく。
駅って、こんなに広かったっけ。
だんだん、自分が
どこを歩いているのかわからなくなってきた。
迷子になりそう。
いや、もう半分くらい迷子なのかもしれない。
パンを買いたいがために。
おかしくなって、ひとりで笑いながら歩いた。

ナビの言われるがまま歩いているけれど、
中途半端に中華街を出てしまったせいか、
ものすごく遠回りをしている気がする。
でも、風はちゃんと私についてきてくれる。
ただ——風も
パン屋さんの場所は知らないみたい。
いつもなら私をどこかへ
連れていってくれるのに、
今日は導いてくれる気配がない。
ただ、私の横を一緒に歩いている。

だんだん蒸し暑くなってきた。
でも、どうやら私が歩き終わるまでは、
雨には遭わずに済みそうだ。
結局、傘はいらなかったのかな。

歩いていると、
以前お客さまと
待ち合わせをしたことのある場所が見えた。
「あっ、ここか」
やっと自分のいる場所がわかった。
やっぱり、ずいぶん遠回りをしていた。
でも、いい。
遠回りしたからこそ、
また何か新しい気づきや発見、
感動に出逢えるかもしれない。
ぐるっと回る。

目印にしていた北京飯店が見えた。
そして、いつも中華街へ入る
朝陽門まで戻ってきた。
ああ、なるほど。私はどうやら、
中華街の外側をぐるっと半周していたらしい。
ジグザグ中華街ならぬ、ぐるっと中華街。

その途中、素敵なお店を見つけた。
まだ開いてはいないけれど、
ウェディングドレスの専門店のようだった。
ウィンドウの向こうに、
純白のドレスが何着も並んでいる。
思わず足を止め、近寄って魅つめた。

ウェディングドレスが白いのは、
これから、いろいろな色に
染められていくため。
そんな話を聞いたことがある。
綺麗だな。

そして、ふと思った。
私も毎朝、パワースポットで
光と風と海を感じながら、
いったん真っ白な心へ
戻っているのかもしれない。
真っ白なウェディングドレスのように。
そこから今日という一日を歩き始める。
いろいろなものに出逢い、
いろいろなことを感じ、
いろいろな色に染められていく。
でも、その色も、
模様も、
輝きも、
きっと毎日違う。

そんなことを思いながら、
またナビに従ってキョロキョロと歩いた。
大通りへ出た。
港の方へ。
神奈川県庁が見えてきた。
ここも以前、よく歩いたところ。

近代的なオフィスビルの間に、
時代を感じさせるレトロで豪華な建物が
混じり合っている。
私は、この辺りの街並みが好きだった。

7:00を過ぎると、
通勤する人たちの姿もちらほら増えてきた。
お店も、ひとつ、またひとつと開き始める。
街が動き出す。
街が歩き出す。
なんだか、今の私の気持ちと重なる。

それにしても——
「風さん。あなた、全然場所
わかってないのかしら。
いつもこの辺りで遊んでるんでしょ?」
そう言いたくなるくらい、
まだパン屋さんにはたどり着かない。

でも私自身は、少しずつ場所がわかってきた。
行ったり来たりしているけれど、
それでも「あ、この辺りだ」という
感覚が戻ってくる。
そのとき、前から強い風が吹いてきた。
顔に当たる。
汗ばんだ体をすうっと撫でていく。
気持ちいい。
あ。
とうとう風さんも、
場所がわかったのかもしれない。
今度こそ私をパン屋さんへ
連れていってくれているのかな。

そんなことを思いながら歩いた。
横浜で過ごしてきた年月が、
ふっと頭をよぎる。
三菱UFJ銀行が見えた。
ゴールドジムが見えた。
その先の角を左へ曲がるらしい。
曲がってみて——「あれ?」なんだ。
馬車道に戻ってきたじゃない。

ということは。
いつも馬車道から
海へ向かって歩いている私は、
今まで何度も
このパン屋さんの近くを
通っていたということ?
こんなに苦労して探す必要なんて、
なかったのかもしれない。
ただ、私に見えていなかっただけなのだ。

今までは朝そばだった。
だから、パン屋さんを必要としていなかった。
必要としていないものは、
目の前にあっても見えていないことがある。
今日はパン屋さんを探している。
だから初めて、
この街にある
「パン屋さんへの道」が見えてきた。
なんだか面白い。

今日は中華街をジグザグできなかった。
でも、その代わりにぐるっと中華街を歩いた。
ただ——ジグザグより、
ぐるっとの方が疲れる。

ようやくナビが、
「お疲れさまでした」と、
目的地への案内を終えた。
着いた!……はずなのに。
パン屋さんがない。
どこ?見当たらない。
もう、諦めようか。
いや。
ここまで歩いたのだから、
やっぱり諦めきれない。

もう一度ホームページを確認した。
すると——地上ではなく、
地下二階。
えっ。そういうこと?
馬車道駅の改札の方まで
降りなければいけなかったのだ。

もう一度、くるりと踵を返した。
地下へ向かう入口を探す。
あった。
階段を下りる。
さらに下へ。
地下一階から地下二階を覗き込んだ。
そして——あった!パン屋さん!やった。
やっと見つけた。

こんなに歩いて。
ぐるっと回って。
風と一緒に迷子になって。
中華街を半周して。
ウェディングドレスに足を止めて。
街が目覚めていく様子を眺めながら。
ようやくたどり着いた、今朝の目的地。

嬉しくなって、お店をよく見た。
そして私は、思わず笑ってしまった。
このパン屋さん——
向こうの街でも、
私、時々買っているパン屋さんだった。