朝、外へ出ると、
風さんを感じる間もなく、
いつもの挨拶をする間もなく、
私はまっすぐ、あの「謎の木」へ向かった。

木の下で腰をかがめ、
うろうろ、うろうろ。
少し範囲を広げて、
また、うろうろ。
その木から落ちた葉を探していた。

一晩、外気にさらされていたせいなのか、
落ち葉のほとんどは、
もうすっかり色を失っていた。
その中に一枚だけ、
まだ少しだけ元気を残しているような、
大きな葉を見つけた。
嬉しくなって、
そっとウエストポーチにしまった。
ウォーキングから戻ったら、
ゆっくり調べてみよう。

そう思った、そのときだった。
ようやく風さんの存在に気づいた。
あら、風さん。
なんだか少し怒っているみたい。
朝の挨拶もせず、
葉っぱ探しに夢中になっていたからかな。

そんな朝の始まりだった。
そのまま伊勢佐木モールへ向かった。
そこで今度は、
カツラの木を見つけた。
一本。
また一本。
気づけば四本。
嬉しくなって、
私はカツラの木ばかりを
魅つめながら歩いていた。

そのせいで、
ほかの景色をほとんど見ていなかったことに、
あとになって気づいた。
そして、
伊勢佐木モールの出口で、
ふと空を見上げた。

そこには、いつもの雲がいた。
今日の雲は、真ん中にぽっかりと穴が開いた、
まるでドーナツのような形をしていた。
魅つめているうちに、
それはスターゲートのようにも、
どこでもドアのようにも見えてきた。

あの向こうには、何があるのだろう。
そんなことを考えながら魅つめていると、
雲はまた少しずつ姿を変えていった。
今度は、水の渦のように見えてきた。
ぐるぐる、ぐるぐる。

その渦の中へ、
自分の心まで吸い込まれてしまいそうだった。
そのとき、ふと思い出した言葉があった。
無一物中無尽蔵。

昨日、貴方から
教えていただいた言葉だった。

「無尽蔵」という言葉なら聞いたことがある。
けれど、
「無一物中無尽蔵」という言葉を、
私は知らなかった。
知らない、と言った私に、
貴方はその意味を教えてくれた。

私がいつも、「心が無になった」
「空っぽになった」と言っている、
あの心境と同じなのだと。

改めてその言葉の意味を調べてみた。
ひとつひとつの言葉を拾いながら、
その意味をたどっていく。
すると、だんだん
不思議な気持ちになってきた。

これって――
私が歩きながら感じてきたこと、
そのものではないだろうか。
ひとつひとつ風景を踏みしめるように歩き、
やがて「心のサンクチュアリー」と
呼ぶ場所へ辿り着いたとき。
心の中から余計なものが消えていた。

何も考えない。
何かを求めようともしない。
ただ空を魅て、
風を感じて、
木々の声を聞いていた。
心が空っぽになった。
私自身が、
無になったような感覚だった。

でも、不思議なことに、
空っぽになったからといって、
そこには「何もない」わけではなかった。
むしろ逆だった。
空っぽになったからこそ、
今まで気づかなかったものが、
次々と心の中へ入ってきた。
空の色。
雲の形。
風の温度。
木々の揺らぎ。
鳥の声。
水の音。

何も持たない心になったからこそ、
世界にあふれているものを、
こんなにもたくさん受け取ることができる。
私は、それを自分の身体で感じていた。
だから、
「無一物中無尽蔵」という言葉を知ったとき、
ああ、そういうことだったのか。
と思った。

私がこれまで言葉にできず、
ただ「無になる」と表現していたものを、
ずっと昔の人は、
こんな言葉で表していたのだ。

そして、もう一つ、
ずっと昔から私の心に残っている
言葉を思い出した。
ソクラテスの「無知の知」
自分が知らないということを、
自分自身が知っていること。

私は高校生の頃から、
この考え方が好きだった。
自分が無知だとわかっているからこそ、
わからないことを人に聞くことができる。
知ったかぶりをしなくていい。

こんなことを聞いたら、
馬鹿にされるかな。
そんなことを考えるより、
わからなければ聞けばいい。
そして、
また一つ知ればいい。

知らないことを恥ずかしいと思って、
わかったふりをして質問しなければ、
もしかしたら、
新しい世界へ続く扉をひとつ、
自分で閉じてしまう
ことになるのかもしれない。
だから私は、
知らないことを知ろうとする姿勢を、
ずっと大切にしてきた。

そして今朝、ふと思った。
古代ギリシャの哲学と、
遠く離れた禅の世界。
まったく違う場所、
違う時代に生まれた考え方なのに、
どこかでつながっているような気がする。

「知らない」と認めること。
「持っている」と思い込まないこと。
自分をいったん空っぽにすること。
そうすれば、
そこには新しいものが入ってくる
余白が生まれる。

何もないから、
何でも入る。
知らないから、
知ることができる。
空っぽだから、
世界をいっぱいに受け取ることができる。

――無一物中無尽蔵。
伊勢佐木モールの出口で魅た、
あのドーナツのような雲。
スターゲートにも、
どこでもドアにも、
そして水の渦にも見えた、あの空。

もしかしたら、
あれは私の心だったのかもしれない。
空っぽの中心へ吸い込まれ、
余計なものを手放したその先には、
何もないのではなく、
まだ知らない世界が、
無尽蔵に広がっている。

そう思うと、
あの雲の向こう側を、
もう少し魅てみたくなった。