横浜に比べると、こちらはずいぶん暑い。
蒸し暑い。
電車を待っている間も
日差しがまともに当たり、
このままでは日干しに
なってしまいそうだった。
「風さ〜ん、助けてー」
心の中で呼ぶと、
風さんはちゃんと飛んできてくれた。
ふわり。
ほんの一瞬、私へのご褒美のような風を
置いていく。
「ああ、気持ちいい。もう一回だけお願い」
「ダメよ。もう電車が来たから」
そんな声が聞こえてきそうだった。
今日の和歌山出張は、ほぼ予定通り。
予定通りではなかったのは、
蕎麦が鰻に変わったことくらい。
でも、その鰻はとても美味しかった。
紀州で「将軍」を食すことができたし、
鰻二尾完食という
歴代第二位の記録まで作ることができた。
だから、まあ、これも悪くなかったかな。
そしてようやく、
11日間の横浜ステイと和歌山出張を終え、
我が家へと帰ってきた。
見慣れた景色が近づいてくる。
「風さん、久しぶりの眺めね」
「そうね」
「風さんも懐かしいでしょ」
「うん」
ふわり、ふわり、ふわふわ。
風さんも一緒に帰ってこられたことを
喜んでいるようだった。
そして――「ただいま!」
少し大きな声で言いながら、
自宅のドアを開けた。
「おかえりなさい」
家族の優しく温かな笑顔が、
私を包み込むように迎えてくれた。
ああ。やっと帰ってきた。
その顔を見た瞬間、
身体の中に残っていた力が、
すうっと抜けていくようだった。
今朝は、まだ夜も明けきらない頃に
大きな揺れに見舞われた。
恐怖と不安で心まで大きく揺れた。
それでも横浜を出て、
新幹線に乗り、
和歌山へ向かい、
打ち合わせを終え、
そして予定していた時間に
ここまで帰ってくることができた。
どうして今日一日、ここまで動けたのだろう。
ふと、昨日織り上げた心色の帯を思った。
今日も私は、
目には見えないその帯を
ずっと心にまとっていたのだと思う。
横浜で拾い集めた風景。
心に響いた言葉。
出逢った人たちの温もり。
風さんとの時間。
その一つひとつが織り込まれた
帯をまといながら、
「まだ今日にも、
心に響く風景があるかもしれない」
そう思っていたから、
眠っている場合ではないと、
どこかで踏ん張ることが
できたのかもしれない。
けれど、家族の顔を見て安心した途端、
猛烈な睡魔が押し寄せてきた。
電車の中でも、
ほとんど眠ることができなかったのだ。
ああ、寝たい。
今すぐ横になりたい。
でも――まだ寝るわけにはいかない。
11日間、待っていてくれた家族との時間が、
これから始まる。
キャリーケースの荷物を片付けて、
服を着替えて、
少しだけヘアとメイクも整えなければ。
夕食は18:00から。
17:30には家を出たい。
時計を見る。
あと一時間もない。
「もう一踏ん張り。もう一踏ん張り」
自分にそう言い聞かせた。
家族はすでにドレスアップを済ませ、
いつでも出かけられるように準備万端。
私も急がなければ。
今夜は、お料理のソースがついても
目立ちにくいように、
濃いグレーのワンピースを着ていくつもりだ。
キャリーケースを開けながら、
ふと笑ってしまった。
お昼には、あれだけ大きな鰻を
二尾きれいに完食したというのに、
これからまた
ディナーのコース料理をいただくのだ。
横浜で足りていなかった栄養を、
今日一日で一気に
補充しようとしているみたい。
風さんも、きっと笑っている。
もしかしたら、
こちらで待っていた風さんたちに、
「聞いて、今日ね、
鰻を二尾食べたあとに、
またコース料理へ行くんだって」なんて、
もう言いふらしているかもしれない。
まあ、いいか。
今日は長い一日なのだから。
朝の恐怖も、
紀州の潮の香りも、
将軍二尾も、
そして11日ぶりの「ただいま」も、
全部、今日という一日の中にある。
心色の帯をほどくのは、まだ少し先。
もう一踏ん張りして、今度は家族との時間へ。
ただいまの、その先へ。
心色の帯をまとって、ただいま✨
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