夕暮れ時、仕事帰りの人たちと
たくさんすれ違った。

今日は何時頃だったのだろう。
ものすごい豪雨になり、
雷まで鳴っていたらしい。
ずっとオフィスの中にいた私は、
そんなことにはまるで気づかなかった。

でも、その雨のおかげなのかもしれない。
雨上がりの街には、
少し湿り気を帯びた風が吹いていた。
それでも昨日も今日も
昼過ぎまでは最高気温38度という
暑さだったから、
その風が運んでくる涼は
なんとも爽やかだった。

すれ違った女性ふたりも、
「涼しいね」なんて
嬉しそうに話しながら歩いている。
うん、本当に涼しい。

家に着いたのは、もう18:30だった。
「ただいま」
「じゃあ、ご飯食べに行こうか」
「うん、そうしよう」
「ちょっと着替えるから待ってて」
「わかった」

帰ったばかりだというのに、
一息つく間もなく、
今度は家族と一緒に家を出た。

向かったのは、
歩いて行ける距離にあるとんかつ屋さん。
朝ごはんを食べながら、
家族が「とんかつが食べたいな」
と言っていたのだ。

「じゃあ、晩はとんかつ屋さんに行こうか」
そう言ったのは私。
しかしながら――私は、とんかつを食べない。
では、なぜとんかつ屋へ行くのか。
私は、エビフライを食べる。

とんかつ屋であろうとも、
ひたすらエビフライを食べる。
「とんかつ、おいしいのに。
なんで食べないの?」
昔からよく聞かれてきた。

そんなとき、私は決まってこう答える。
「とんかつはね、
右から食べるか、左から食べるか。
運命の分かれ道なのよ」
たいていの人は首をかしげる。
そこで種明かし。
「だって、どちらかに必ず
脂の塊があるでしょ」

私は、あの脂身がどうにも苦手なのだ。
ヒレカツなら少しは食べるけれど、
おいしいと評判の
とんかつ屋さんへ連れて行っていただいて、
「一口食べてみたら?」
と勧められると困ってしまう。

せっかく連れてきてくださったのだから、
ここは食べておいたほうがいいかな。
そう思いながら、
厚かましいのを承知で――真ん中から取る。
なるべく、さりげなく。

そんな私が今日選んだのは、
もちろんエビフライ定食。
大きなエビフライが三尾。
揚げたてのサクサクの衣がたまらない。
最初はソースをつけてみたけれど、
やっぱりエビフライにはタルタルソース。

どちらかといえば天ぷら派の私だけれど、
エビフライだけは別格なのだ。

そして、もうひとつ嬉しかったのが、
キャベツのおかわり自由。
もちろん、いっぱいおかわりした。
だって明日の晩からは、
しばらくこんなふうに
野菜をたっぷり食べられないもの。
また横浜ステイが始まるから。

家族とあれこれ話しながら食べる晩ごはん。
家族はおいしそうにとんかつを頬張っている。「おいしいよ」そう言いながらも、
「一口食べてみる?」とは絶対に言わない。
私がとんかつを苦手なのを、
ちゃんと知っているから。
そんな何気ないところが、
なんだか嬉しかった。

言わなくても、わかっている。
勧めなくても、わかっている。
長い時間を一緒に過ごしてきたからこその、
小さな阿吽の呼吸。
やっぱり家族よね。

食事のあとは、デパ地下へ寄った。
昨日は晩ごはんこそ一緒に食べたけれど、
それまでは出張。
そして今日も朝から夕方まで仕事だった。

仕事をしていれば、
家を空けてしまうのは仕方がない。
それでも私は、少しだけ後ろめたかった。
23日の朝に帰ってきたばかりなのに、
明日の午後には、もう横浜へ向かう。

本当はもう一日こちらにいようかな、
とも思った。
でも――私が横浜へ行きたかった。
私のわがままなのだ。


だから、せめてもの罪滅ぼし。
「今日はお買い物も、私が全部出すから」
そう言うと、
家族は嬉しそうに、
「ありがとう」と笑った。

でも、遠慮しているのがよくわかる。
「お菓子食べたかったら、
好きなものいっぱい入れていいのよ」
すると、
また、「ありがとう」にっこり笑って、
一つ、また一つ。
気がつけば、かごは山盛り。
もう入らない。
それでもまだ手に持っている。

その姿を見ていたら、
なんだか可笑しくて、
そして、たまらなく嬉しくなった。
いいの、いいの。
今日はいっぱい買いなさい。

罪滅ぼしのつもりだったはずなのに、
不思議なものだ。
家族が嬉しそうにしているのを見ていたら、
私のほうまでどんどん気持ちよくなってきた。
何かをしてあげたはずなのに、
満たされているのは私のほう。
家族孝行って、
こういうものなのかもしれない。

そのとき――風さんがやってきた。
私が今日はひとりではなく、
家族と一緒に歩いていることが
わかったのだろう。
何も語らず、私たちのまわりを
くるくる回っているだけ。

私は心の中で、そっと風さんにつぶやいた。
「ああ、すごく涼しい風。
気持ちいいわ。
それにね、なんだか私、
いいことをしたみたいで、
すごく気分がいいの」

すると風さんも、私だけにわかるように、
「そうだね。
たまには家族孝行しておかないとね。
うふふ」
そう笑ったような気がした。

豪雨が洗った夕暮れの街。
湿り気を含んだ涼しい風に吹かれながら、
家族と並んで歩く。

明日の午後には、私はまた横浜へ向かう。
だから今夜くらいは、
この時間をゆっくり味わっておこう。
山盛りになった買い物袋と、
家族の嬉しそうな笑顔と、
なぜだか私まで満たされた、

この心地よさを抱えて。
風さんは何も言わず、
私たちの少し後ろを、
そっとついてきてくれた。
まるで、「今日はちゃんと、
家まで送ってあげるよ」とでも言うように。