歓喜の朝を迎え、
その喜びを心へ染み込ませ、
私は今朝、二度も「無」になった。
胸にあふれたものを、
心の中にある空色の手帳へ書き留めながら、
また歩き始める。

今日は、こちらで歩く最後の朝。
次にこの道を歩くのは何日先になるのだろう。
そんなことを考えかけて、やめた。
何日後だっていい。
私は今、歩いているのだから。

『千鳥』を聴きながら歩いた。
心は夢でいっぱいなのに、足はふらふら。
すると、
いつもとは違う歌の言葉が耳に引っかかった。

千鳥足。
回り道。
そして――たぶん私は生きている。

初めて聴いたころは、
「千鳥足」という言葉に、
酔っぱらいの歌なのかしら、なんて思った。
でも今は、少し違って聞こえる。

まっすぐ歩けないときがある。
倒れそうになることもある。
いろんな思いに
押しつぶされそうになりながら、
人から見れば無駄に思えるような
回り道をすることもある。
それでも一歩。また一歩。
千鳥足でも、歩を進めている。
だったら私も、たぶん生きている。

「風さん、もうちょっと強く吹いて」
すると風さんが、すうっとやってきた。
その風を胸いっぱいに吸い込む。
ああ。生きてる。
もっと生きている喜びを感じたい。
前へ進んでいることを、もっと喜びたい。
千鳥足でもいいじゃない。
回り道したっていいじゃない。
だって、回り道だからこそ見える
新しい風景があるのだから。

――と思いながら、
回り道をした私が見つけた新しい風景は、
からあげクン、塩昆布マヨ味だった。
ご当地キャンペーンの関西バージョン。
今日の午後からは、もう食べられない。
そう思ったら、
いつの間にか手に取ってレジに並んでいた。

一口。塩昆布とだしの旨みが
口いっぱいに広がり、
ほんのりとしたマヨネーズのコクが
あとから追いかけてくる。
そして、グリーンコーラを一口。
すうっ。ああ、爽やか。
壮大な人生の回り道の先で見つけたものが、
からあげクン。
まあ、こんな朝も悪くない。

お腹も心も満たされ、また歩き始めた。
すると不思議なことに、
千鳥足だった足取りが
少しずつ普通に戻ってきた。
回り道にも、そろそろ終止符。
ここからはゴールへ向かって、まっすぐ歩こう。

気がつけば、私は笑っていた。
すれ違った人と目が合う。
「おはようございます」
にっこり笑って声をかけると、
「おはようございます」
同じ笑顔が返ってきた。

少し先では、
年配の女性が家の前で椅子に座り、
うちわをぱたぱた仰いでいた。
また目が合った。
「おはようございます」軽く会釈をすると、
その方も嬉しそうに会釈を返してくださった。

なんだか、すごくいい気分。
心が満たされると、明るくなれる。
優しくなれる。
そして、心にゆとりが生まれる。
いつもなら、
ただすれ違って終わっていた人たち。
でも今朝は、笑顔を交わした。
作った笑顔ではない。
心の中にあるものが、
そのまま顔に現れた笑顔。
だからきっと、相手にも届いたのだろう。

私の笑顔が誰かの笑顔になり、
その笑顔がまた私の心へ戻ってくる。
またひとつ、空色の手帳に風景を書き留めた。

風さんと歩いていると、
今度は少し変わった匂いが運ばれてきた。
「あれ? なんだか油臭い」
その先にはガソリンスタンド。
給油する車から漂う匂いまで、
風さんが運んできたらしい。
でも、それさえ今日は嫌ではなかった。
ああ、街が動き始めたんだ。

朝ごはんを出す店も開き、
人々が食事をしている。
仕事へ向かう人たちが歩き始める。
静かだった街へ、
少しずつ人の息吹が戻ってくる。
鳥たちの声に代わるように、
今度は蝉の声がはっきり聞こえ始めた。
じりじりと暑くなっていく朝によく似合う声。

そして、白い百日紅を見つけた。
いつも見ていたピンクとは違う、
白い花。百日紅が、
その花言葉のような「笑顔」で
私を迎えてくれているように見えた。
でもきっと、それも今の私が笑っているから。

道が同じでも、
心は毎朝、初めてそこを歩いている。
だから、何度歩いた道にも、
まだ知らない風景がある。

ようやくゴール。
今日はフルコース。
千鳥足になって、
回り道して、
寄り道して、
からあげクンまで食べて。
心ゆくまで歩いた。
三時間半。

ふと空を見上げた。
小さな雲が、ふらふらっと風になびいている。
そして、その向こうにぽっかりと開いた空色。
ああ。空色の手帳だ。

今朝、心に響いたものを
ひとつずつ書き留めてきた、私の手帳。
でも、その手帳はもう
私の手の中にはなかった。
頭上いっぱいに、大きく開いていた。

何もないから、何でも入る。
そして入ってきたものは、
いつか心へ染み込み、
また違う朝に、違う姿になって芽を出す。

三時間半の回り道を終えた私は、
その大きな空色の手帳を見上げた。
まだ真っ白なページが、たくさんある。
さあ。次は、どんな風景を書き留めよう。
私はまた、
新しい一歩を踏み出した。