三時間半のウォーキングを終え、
最後にもう一度、空を見上げた。

空へ向かって大きく開いた、私の空色の手帳。
高みへ昇ろうとしている太陽の光を受けて、
きらきらと輝いていた。

なぜだろう。その風景が、妙に心に残った。
ふと横を見る。
風さんも私の隣にふわふわと佇みながら、
同じ空を眺めているような気がした。
「そうよね、風さん。
だって今日は、あなたと私、
二人でこの手帳に
いろんな風景を書き留めてきたんだものね。
あなたにとっても思い入れがあるわよね」
風さんは何も言わない。
でも、なんとなく嬉しそうだった。

さあ。少し遅くなったけれど、
今日は家族とゆっくり最後の朝餐を楽しもう。
そのために大切に取っておいた時間。
今日は少し手間をかけてもいい。
心を込めて作ろう。

まずは、なすびを火にかけた。
焼きなすは時間がかかる。
じっくり焼いて、
皮がぱりっと気持ちよく剥けるように。
その横では、しじみのお味噌汁。
さらに、ささがれいの干物。
小さなささがれいは身がおいしい。
なすびをくるくる回しながら、
魚の焼け具合を見届け、それからお風呂へ。

急いで上がって、朝餐の続き。
たたききゅうり。
豆苗の炒めもの。
ハムステーキ。
私は目玉焼き。
そして最後は、「作ってほしい」と
家族から頼まれていた、だし巻き。
これは私の得意料理。

出来上がったものを食卓へ並べてみる。
緑、黄色、ピンク、白。
色とりどりの料理の間から、
お味噌汁と炊きたてのご飯の湯気が、
すうっと立ち上っていく。
そこへ朝の光が差し込んだ。
きらきら。
我が家の食卓が、なんだかとても眩しく見えた。

「いただきます」そして第一声。
「あ、このしじみのお味噌汁、
とってもおいしい。
やっぱりインスタントとは違うよね」
その言葉だけで、
作った時間が全部報われたような気がした。

「しじみってね、お汁にも栄養があるけど、
身にもいっぱいあるらしいよ」
そんな話から始まり、
「ささがれい、
やっぱり小さいほうがおいしいね」
「ほんとね。むきにくいけど」魚の話へ。
そして、「あ、このハムステーキ、おいしい」
「そう? 切って売ってあったものだけど、
意外とおいしいのね。
まあ私は食べないけどね」
「ふふ。そうよね。食べないわね」

そんな何でもない会話が、
食卓の上をくるくる回っていく。
まるで朝餐に流れる、穏やかなBGM。
私は、こんな時間が一番好き。
作る手間なんて気にならない。
食べてくれる人がいて、
その人の「おいしい」が聞けて、
嬉しそうな顔を見ることができる。
それだけで、私まで嬉しくなる。

今朝、私は外の世界から
たくさんのものをもらった。

鳥の声。
虫の声。
風。
空。
人の笑顔。
目覚めていく街の息吹。

何もなかった心へ、ひとつずつ入ってきて、
気がつけば歓喜でいっぱいになっていた。
そして家へ帰った私は、
そのいっぱいになったものを、
今度は食卓へ少しずつ
分けていたのかもしれない。
受け取って、
心へ染み込ませて、
満たされて、
そして誰かへ渡す。
すると、「おいしい」という言葉になって、
また私のところへ返ってくる。
幸せって、
こうして巡るものなのかもしれない。

食事を終えると、
いつものように自然な役割分担。
私は大量の洗濯物を抱えてベランダへ出た。
暑い。
今日は39度まで上がるらしい。
それでも空は、澄み切った青。
ああ。
また、空色の手帳だ。

白い雲がぽかぽかと浮かび、
その向こうでは山の緑が光っている。
そこへ風さんがやってきた。

「ねえ、見て。
私の空に広がっている手帳。きれいでしょ」 「きれいだね。本当にきれいだね」
「手帳の中には何が書かれているの?」
私は少し笑った。
「それは秘密よ」
そして、風さんを見た。
「でも風さん、とっくに知っているでしょ」

だって今朝のページは、
私ひとりで書いたものではないもの。
あなたが運んでくれた音も、
あなたが揺らしてくれた木々も、
あなたと一緒に見つけた風景も、
みんなここに書いてある。

空色の手帳からたくさんのものを受け取って、
今度は、その幸せを食卓へ。
そして家族の笑顔をひとつ増やして、
また空色の手帳へ戻ってきた。
何もないから、何でも入る。
そして満たされたら、
今度は誰かへ少し分けてあげればいい。
そうすればきっと、
空いたところへまた新しい風景が入ってくる。

風さん。
今日もまだ、
この空色の手帳には、
新しい物語を書き込めそうね。