目が覚めたら、5:42だった。

昨夜、一日の最後の日記を仕上げ、
画像の圧縮を待っている間に
眠ってしまったらしい。

けれど、不思議と焦らなかった。

予定より一時間も長く眠れたことが、
むしろ嬉しかった。

外へ出ると、
生ぬるく湿った空気がまとわりついた。

名前の判明したあの木は、
朝陽もないのに
磨き上げた靴のような深い緑を光らせている。「今日は、今朝のあなたらしく歩いてきなさい」そう言われたような気がした。

いつもの小さな空のキャンバスは真っ白。
その下には、
薄いグレーが幾重にも重なっていた。

一時間遅れのスタート。
それでも今日は、
何も取り戻そうとは思わなかった。

考えてみれば、
私は毎朝三時間半ほど外にいた。
けれど、歩いていたのは一時間二十分ほど。
残りの二時間以上は、
心に響いた風景の前で立ち止まり、
言葉にしていた。

書くことは楽しかった。
悩みも、モヤモヤも、
書けば風に放たれていった。
嬉しいことを書けば、
心はさらに満たされた。

けれどいつの間にか、
書きたい、から、書かなければ。
そんな小さな変化が
起きていたのかもしれない。

心はもっと、もっと、と前へ進み、
身体はその後ろを必死についてきていた。
そして昨日、
とうとう身体がパタンと座り込んだ。

もしかしたら今朝の一時間は、
そんな身体から届いた
SOSだったのかもしれない。

海へ着くと、
風が汗ばんだ髪と肌をさらりと撫で、
鳥たちの声が聞こえてきた。
「全部拾わなくていいのよ」そんな声がした。

そうだ。
心に響いたからといって、
全部を言葉にしなくてもいい。
一つだけ拾ってもいい。
何ひとつ拾わなくてもいい。

美しいと思ったこと。
心が震えたこと。
その体験そのものが、
すでに私の中へ染み込んでいるのだから。

私はこれまで
「風の吹くまま、気の向くまま」
と言いながら、
本当は心の扉を
懸命に開き続けていたのかもしれない。

風が私を呼んでいる。
空が、雲が、海が、鳥が、木々が
私を呼んでいる。
そう思うたび、
もっと開け、
もっと感じろと、
自分の扉をこじ開けていた。

扉はきっと、何度かミシミシと音を立てていた。それでも私は、
蝶つがいに油を差せば大丈夫だと思っていた。
けれど昨日、とうとうネジが一本外れた。
壊れてしまう前に気づいてよかった。

今日は心の奥への階段も降りない。
覗きに行かなくても、
もう自分の心は見えた。
そして、身体のSOSも拾った。

グレーだった空のキャンバスに、
ほんの少しピンクゴールドの光が差した。
きっとあれは、私自身への気づきの色。

今朝は、この一色だけ拾って帰ろう。
帰り道、大きなひまわりが二本、
こちらを向いて笑っていた。
「今ごろわかったの?」
そんな声が聞こえた気がして、
私も少し笑った。

今日は何も拾わなかった。
けれどその代わり、
心の中に小さな芽がひとつ生まれた。
無理をした記憶も、
頑張りすぎた記憶も、捨てなくていい。
それもまた、
次へ進むための大切な風景として、
心のサンクチュアリーに置いておけばいい。

一時間四十分でゴールに着いた。
いつもより二時間ほど短い朝。
それでも、足りないものは何もなかった。

緑の葉が風にひらひらと揺れている。
まるで、新しく芽を出した私の気づきに、
静かな拍手を送ってくれているようだった。

体に優しくすることは、
きっと、心にも優しくすること。

今日から私は、全部を拾わない。
それでも私は、
ちゃんと感じながら歩いている。