今日は、心と体が初めて
同じ速度で歩き始めた
記念日のような気がしていた。

いつものように、
たくさんの風景を拾ったわけではない。
歩く距離だって、ほとんど変わらない。
それなのに体は快適だった。

そして何も拾わなかったはずの心には、
ちゃんと「感動」という名の
余韻が残っていた。

たくさん拾わなくても、
感じたものは消えてしまうわけではない。
言葉にしなくても、
心に響いた風景は、
いつの間にか私の中へ染み込んでいる。

今になって思う。
雲間からほんの一筋だけ見えた
ピンクゴールドの光。
あれはきっと、
私の中に芽生えた
新しい気づきの色だったのだ。

一時間も遅く歩き始めたのに、
時計を見れば、
いつもより三十分ほど早く帰ってきていた。

あら、不思議。
遅れて始まった朝なのに、
私の手の中には、
昨日までなかった時間が残っている。
何かを拾わなかったことで失ったのではなく、
私は自分の時間を
ひとつ取り戻したのかもしれない。

今日は午前中に予定がある。
パン屋さんには寄れなかったけれど、
昨日いただいた美味しそうなパンがある。
お風呂に入り、汗が引いたら食べよう。

芽生えの朝のお風呂は、
いつも以上に気持ちよかった。
流れるお湯と一緒に、
これまで自分で作っていた
小さなこだわりまで、
きれいさっぱり洗い流されていくようだった。

そっと心の中を覗いてみる。
そこには、小さなかわいい芽がひとつ。

汗が引くまでテレビを眺めながら、
今日の予定を考えた。

10時からマツエク。
9:40、遅くても9:45には出たい。
まだ少し時間がある。
そう思ったところで、
「あ、洗濯!」
布団カバーまで
準備していたことを思い出した。

標準コースでは間に合わない。
ならば、お風呂を洗って、
最後にバスタオルを入れて、
今日は時短で回そう。

そんなふうに、
これからの時間を
落ち着いて組み立てている自分がいた。

書くことばかりにこだわらない。
書くことばかりに追われない。

そうしたら、
空いたところに「考える時間」が戻ってきた。 

何かを減らせば、何かを失うと思っていた。
でも、違った。
空いたところには、
ちゃんと別の豊かさが入ってくる。

今朝、心と体が同じ歩幅になったことで、
私は風景だけではなく、
自分の一日まで
ゆっくり見渡せるように
なったのかもしれない。

さあ、これから私のオアシス時間。
たくさん拾わなくてもいい。
急いで育てなくてもいい。

今日生まれた小さな芽を、
心と体と一緒に、
ぼちぼち育てていこう。