長い一日が、
静かに夜の中へ沈もうとしている。

今朝、私の心に顔を出した小さな新芽。
水を与えよう。
養分を与えよう。
光を与えよう。
そう思っていた私は、
今日、その新芽を胸に抱いたまま
一日を歩いていた。

けれど、新しい自分になったからといって、
何もかもが
突然うまく運ぶわけではないらしい。
頭の中の時計を一時間もずらして、
危うく大切な時間に遅れそうになった私。
慌てて、走って、間に合って、ほっとして。
そんな相変わらずの自分に少し呆れながらも、
不思議と以前のように
失敗だけを握りしめてはいなかった。

起きてしまったことを悔やみ続けるより、
その先をどう歩くのか。
今朝芽生えたばかりの小さなものが、
もうそんなことを
私に囁き始めていたのかもしれない。

そして心は、桃色に染まった。
人に逢うということは、不思議だ。
同じ私なのに、
誰かの前では少女のようにときめき、
誰かの前では安心して肩の力を抜き、
誰かの腕の中では
自分でも知らなかったほど熱くなれる。

年齢を重ねるということは、
ときめきを失うことではなかった。
むしろ、
いくつもの時間を生きてきたからこそ、
一瞬の嬉しさも、
人の温もりも、
別れ際の寂しさも、
以前より深く味わえるのかもしれない。

そう思うと、
重ねてきた年輪さえ愛おしく思えた。

今日一日の物語も、
そろそろ最終章へ入ろうとしている。
今日一日は、どんな言葉で締めくくろうか。

そんなことを考えている今、
心に浮かんでくるのは、
やはり「色」だった。

朝の光。
新芽の緑。
心にふわりと広がった桃色。
雨に洗われ、
透明な水のオーラを纏った木々の緑。
そして夜。

大切なあなたと再会した瞬間は、
まだ何色にも染まっていない
透明な喜びだった。
乾杯をして、話して、笑って、歌って。
『千鳥』を初めて自分の声で歌った。
まだたどたどしくてもいい。
いつかもっと伸びやかに、爽やかに、
私の心から私の声として歌えればいい。

それは歌だけではないのだろう。
今朝生まれた新芽だって、まだ小さい。
急いで大輪の花にしなくてもいい。
今日一日を生きた分だけ、
ほんの少し根を伸ばせばいい。

そして夜が深まるにつれ、
私の心の色も深くなっていった。
透明から、淡い黄金色へ。
黄金色から、琥珀色へ。
そして最後には、深いマホガニーへ。

ああ、そうか。
今日私は、色を集めていたのではなかった。
心が動くたびに、
私自身が色を生み出していたのだ。

慌てたことも。
ときめいたことも。
笑ったことも。
歌ったことも。
熱くなったことも。
別れがたくて寂しくなったことも。
どれか一つを消してしまえば、
今日という色にはならない。

昨日までの私なら、
きれいな色だけを残そうとしたかもしれない。
でも今は、少し違う。
揺れも、迷いも、失敗も、
ときめきも、寂しさも。
全部吸い上げてしまえばいい。
それが、
私の新芽を育てる養分になるのだから。

雨に濡れた夜の街を歩きながら、
胸の中にはまだ
マホガニー色の余韻が灯っている。
でも私は、もう後ろを振り返ってはいない。

「また来るよ」その言葉を胸にしまい、
満たされた心で前を向いている。
今朝生まれた新芽は今日、
光だけではなく、雨を知った。
ときめきを知った。
熱を知った。
寂しさを知った。
そして――色を知った。

今日という一日から吸い上げた、
私だけの色を。

明日は、どんな色を知るのだろう。
それはまだ、知らなくていい。
今夜はただ、
胸の奥に灯る深いマホガニーを
抱きしめながら、
この一日のページを静かに閉じよう。
小さな新芽とともに。