私だけの源風景を連れて帰ってきた。
それは私の中にだけある風景。
呼ばなくても、そこには風さんがいた。
胸の中にあったのは、華やかさではない。
満ちている静けさ。
心が創った風景に満たされながら、
私はその「創る」という
心の動きそのものにも、
どこか躍動するような
前向きな力を感じていた。
余分なものが削ぎ落とされるほど、
心の中には逆に大きな余白が生まれていく。
その余白に、また何かを創りたくなる。
私は昔から「創造」という言葉が好きだった。
そして「つくる」と書く時にも、
「作る」ではなく「創る」という字を
使うのが好きだった。
真っ白なところから、
心に描いたものを形にしていく。
文章であったり、絵であったり、
建物であったり、空間であったり。
あるいは、人が今いる場所から
一歩ステップアップしていく姿であったり。
形は、その時々で違う。
けれど、
私がしていることはいつも同じだった。
まだ何もない白いところにイメージを描き、
それを企画という形にし、
一つずつ現実へ移していく。
そして、今あるものにも
新しい息を吹き込み、
新しい価値を生み出していく。
私はそれを、仕事の中で「価値創造」と
呼んできた。
一つのことをきっかけに、
いくつものイメージが
頭の中をぐるぐると巡る。
その中から、相手にとって
本当に必要なものを選び取る。
でも、ただ並べるだけではつまらない。
そこにストーリーを創りたい。
私の物語ではない。
相手の物語を。
そう考えているうちに、もう一つ気づいた。
私は「創る」と同じくらい、
「魅る」という言葉が好きなのだ。
ただ見るのではない。
じっと魅る。
目の前にあるものから余分なものを
一枚ずつ取り払い、
最後に残った純粋なものの中に
何があるのかを魅る。
そして、そこから創る。
そうか。「魅る」と「創る」は、
私の中ではずっと一つだったのだ。
朝のオアシス時間を過ごしながら、
そんなことを考えていた。
そう思えた瞬間、
不思議なくらい、
自分がこれまでしてきた仕事にも
新しい自信が湧いてきた。
そして気づく。
毎朝のウォーキングだって同じではないか。
歩きながら風景を魅る。
心が動く。
そこから言葉を創る。
物語を創る。
そして時には、
心の中に存在しなかった風景まで創る。
もしかしたら、
だから私は歩くことが好きなのかもしれない。
歩きながら、魅て、創ることが好きなのだ。
そう考えると、
人と過ごす時間もまた同じように思えてきた。
二人で互いを魅る。
言葉を交わし、表情を魅て、
その奥にある心へ少しずつ触れていく。
最初は遠かった二人の距離が、
逢うたび、語るたび、少しずつ縮まっていく。
そしていつの間にか、
そこには二人だけの物語が創られている。
一人では創れない。
二人で魅て、
二人で感じて、
二人で創る風景。
そこにはこれから、
いろいろな色が加わっていくのだろう。
けれど、
たくさんの色を重ねたその先で
最後に残るものは、
案外とてもシンプルなのかもしれない。
そんなことを考えながら、
朝ごはんのクロックムッシュを食べた。
パン。
ハム。
チーズ。
それだけ。
なのに、おいしい。
思わず笑ってしまった。
やっぱり今朝は、ここへ戻ってくる。
Simple is best.
余計なことを考えれば、心は歪む。
余計なものを加えれば、
本当に大切なものが魅えなくなる。
だったら、シンプルに、
まっすぐ進めばいい。
真っ白な余白が大きいほど、
そこにはもっと自由に色を置くことができる。
もっと自由に、創ることができる。
魅れば魅るほど、心は満たされる。
削ぎ落とすほど、余白は広がる。
そして余白が広がるほど、
創る世界も広がっていく。
創造の世界が広がる。
そして、その先にある夢まで広がっていく。
魅る。そして、創る。
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