一粒に
遠き記憶の
扉開き
貴婦人ふたたび
月明かりへと
今日、思いがけず
ゴディバのチョコレートをいただいた。
嬉しくて、包みを開けた。
そして——
びっくりした。
そこにあったのは、私の大好きな世界だった。
群青に広がる空。
神秘的な光を放つ金色の月。
そして、その月のそばにいる白いうさぎ。
「あら……」
しばらく缶を魅つめてしまった。
なんて私の好きな世界なのだろう。
しかも蓋を開ければ、
月とうさぎの物語はそこで終わらず、
チョコレートの中へまで続いている。
嬉しい。
もちろん、
それだけでも十分嬉しかった。
けれど、その缶を魅つめているうちに、
私の心の中から、
もうひとつ別のものがふわりと
浮かび上がってきた。
ゴディバ。
そういえば私、
このチョコレートが昔から好きだった。
初めてゴディバを知ったのが
いつだったのかは、もう覚えていない。
ただ若い頃の私にとって、
ゴディバといえば——高いチョコレート。
そんなイメージだった。
たしか何かの機会に、
プレゼントでいただいたのだったと思う。
初めて一粒を口に入れたときのことだけは、
不思議と覚えている。
濃厚で、なめらかで、
今まで食べていたチョコレートとは
何かが違う。
「おいしい……」
一粒なのに、なんだかとても豪華だった。
そして私は笑いながら、
「これ一粒で、板チョコ何枚買えるんやろ」
なんて言っていた。
それでも、その一粒の感激はずっと残った。
やがてバレンタインが来るたびに、
私はゴディバを買うようになった。
仕事関係でお渡しすることが多かったから、
毎年いくつも選ぶ。
そして毎年、
「また高くなったんちゃう?」
「ゴディバ、やっぱり高いわあ」
なんて文句を言う。
言うくせに——結局、買う。
やっぱりゴディバを選ぶ。
そして人に渡すものを選びながら、
ちゃっかり自分の分もひとつ買う。
私はそれを、
「ご褒美チョコ」と呼んでいた。
人のためにチョコレートを選びながら、
自分にも一粒。
それがなんだか嬉しかった。
そしていつの頃からか、
私の中のゴディバは、
チョコレートだけではなくなっていった。
ゴディバカフェを見つけた。
コーヒーを飲む。
モーニングを食べる。
ランチもある。
ケーキもある。
パンもある。
どれもなんだか少しおしゃれで、上品で。
私はゴディバカフェで過ごす時間が
結構好きだった。
ゴディバのパンもおいしい。
ケーキもおいしい。
モーニングも好き。
ランチも好き。
そして最近ではアイスクリームやクッキー、
いろいろな商品とのコラボも
よく見かけるようになった。
見つければ、「あ、ゴディバや」と、
つい目が止まる。
食べてみたくなる。
けれど——それでも私が一番好きなのは、
やっぱり、一粒のチョコレート。
小さな一粒。
そこへ戻ってくる。
どうしてだろう。
昔初めて食べたときの感激が、
まだどこかに残っているからなのだろうか。
でも、それだけではない。
私はずっと気になっていたものがあった。
ゴディバの紙袋。
箱。
そしてロゴ。
そこに描かれている、
馬にまたがったひとりの女性。
長い髪をまとい、裸身で馬に乗る貴婦人。
私は昔から、
あの姿が気になって仕方がなかった。
「この人、誰なんやろ」
どうして裸で馬に乗っているのだろう。
どうしてこの女性が、
ゴディバの象徴になっているのだろう。
気になって、ずいぶん昔に調べたことがある。
そこで知った。
レディ・ゴディバ。
遠い昔、イングランドに生きた貴婦人。
重い税に苦しむ人々のために夫へ何度も訴え、
やがて伝説の中で、
自ら裸身となり馬に乗って町を進んだ女性。
細かな物語は、
長い年月の中で私の記憶から
少しずつ薄れていった。
けれど、ひとつだけずっと残ったものがある。
人のために、自ら行動した女性。
その姿だった。
なんて強い女性なのだろう。
なんて気高い女性なのだろう。
そう思った。
そして、その物語を
知ったときからだったような気がする。
私の中でゴディバは、
ただの「高いチョコレート」ではなくなった。
一粒の向こうに、
あの貴婦人の姿が見えるようになった。
馬にまたがり、静かに前を魅つめる女性。
気品。
勇気。
そして、自分のためではなく
誰かのために動く心。
私は、そんなレディ・ゴディバに憧れた。
だからなのだと思う。
今では高級チョコレートと呼ばれるものは、
本当にたくさんある。
バレンタインの売り場へ行けば、
有名なパティシエやショコラティエの、
美しいチョコレートがずらりと並んでいる。
一粒一粒が宝石のようで、
繊細で、
華やかで、
きっと驚くほどおいしい。
それでも。
私にとって——貴婦人の一粒は、
やっぱりゴディバ。
これはきっと、味だけではない。
長い間、
私の中に積み重なってきたものなのだ。
初めて一粒を口にした日の感激。
「板チョコ何枚買えるんやろ」と
笑った若い私。
毎年バレンタインに、
「高いなあ」と文句を言いながら、
結局ゴディバを買っていた私。
そして必ず自分にも買った「ご褒美チョコ」
ゴディバカフェで過ごした時間。
パン。
ケーキ。
コーヒー。
そしてずっと、
あのロゴの中で馬にまたがっていた貴婦人。
今日いただいたチョコレートの
包みを開けた瞬間——そんなものが、
一気に心へ戻ってきた。
忘れていたわけではない。
けれど、長い時間の中で
少しずつ心の奥へしまわれていたのだと思う。
レディ・ゴディバの物語も。
初めて一粒を食べた日の感激も。
「ご褒美チョコ」と呼んでいた頃の私も。
みんな静かに、そこにいた。
そして今日。
群青の小さな缶が、その扉を開いてくれた。
群青の空。
金色の月。
白いうさぎ。
私の大好きな世界の中から、
遠い昔に憧れた貴婦人が、
もう一度光を浴びてこちらへ帰ってきた。
なんだか、それがとても嬉しい。
今日いただいたのは、
チョコレートだけでは
なかったのかもしれない。
一粒をきっかけに、昔の私が戻ってきた。
憧れていた女性が戻ってきた。
そして、
「そうだった。
私、だからゴディバが好きだったんだ」
そんな気持ちまで戻ってきた。
小さな一粒から、
こんなにもたくさんの記憶がほどけてゆく。
不思議だなあと思う。
でも、きっとこれが余情なのだ。
目の前にあるものから、
心の奥に眠っていたものへ。
そしてまた、その記憶を抱いて、
今へ戻ってくる。
今日、私の中で——ひとりの貴婦人が、
もう一度、静かに馬へまたがった。
そして群青の月明かりの中を、
ゆっくりと、私の心へ帰ってきた。
だから私は、やっぱりゴディバが好き。
そしてこれからも、
あの一粒を口にするとき、
きっと私は、
馬にまたがるあの貴婦人を
思い出すのだと思う。
貴婦人の一粒。
その物語ごと、私は好きなのだ。
一粒に
貴婦人の影
還りきて
月の群青
心を照らす
— Morimura
余情の小径|一粒に、貴婦人は還り来る✨
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