荷物を片づけながら、
また次に持っていく服を取り出していた。
しまう服。
新しく入れる服。
その服に合う下着。
バンスト。
トレーニングウェア。
野菜ジュース。
おにぎりシート。
味付け海苔。
ひとつ入れて、
ひとつ確かめる。
あとは当日の朝、
ゆで卵と冷凍ご飯に明太子。
そしてメイクセットを入れれば、
だいたい用意は整う。
ずいぶん手慣れてきたものだ。
これなら明日は、
少しゆっくりできるかしら。
そんなことを思っていたところに、
一本の電話が入った。
ああ、そうだった。
これは、
出なければならない電話だった。
正直なところ、
心の中では、
「ああ、長いな」
「ちょっと面倒だな」
そんなことも思っていた。
けれど、
これは大事な確認だった。
Microsoftの本人確認。
今はセキュリティが厳しいから、
ひとつ確認するにも、
何度も電話をかけたり、
受けたりしなければならない。
ほとんどのことは
やってもらっていても、
最後の最後、
本人でなければ答えられないところだけは、
私自身が対応しなければならない。
質問に答え、
確認をし、
また電話を受ける。
そんなやり取りを繰り返して、
ようやく終わった。
ああ、
これで今日の仕事は、
ひとまず終わった。
そう思ったら、
急に風にあたりたくなった。
お風呂へ入る前に、
少しだけベランダへ出る。
朝、
あれほど限りなく透明に近い空色だった空は、
もう違う色をしていた。
透き通るような白。
そこへ、
太陽が沈んでいくからなのだろうか。
ほんのりと、
赤銅色の光が差している。
白の中へ、
少しだけあたたかな色が溶けている。
私はしばらく、
その空を魅つめていた。
そして、
ふと思った。
これは、
今日の私の心模様なのかもしれない。
朝は、
赤信号が点滅していた。
寝坊した。
慌てた。
焦った。
時間を追いかけた。
うまくいかないことに、
心が少しささくれた。
動悸のように、
心が激しく息をしていた時間もあった。
けれど今は、
その尖っていたものが、
少しずつ丸くなっている。
ざらざらしていた心の表面を、
風が撫でてゆく。
なめらかに。
やわらかく。
白へ。
たぶん私は今、
白へ還っている途中なのだ。
何もなかったことにはならない。
寝坊したことも、
慌てたことも、
焦ったことも、
イライラしたことも、
ちゃんと今日の中に残っている。
でも、
それでいい。
いいことだけが、
一日ではない。
慌てたことも。
疲れたことも。
少し苛立ったことも。
ほっとしたことも。
全部、
今日の私の心が動いていた証なのだと思う。
心が呼吸していた証。
もっとも今日は、
静かな呼吸というより、
何度か激しい動悸のような呼吸だったけれど。
それでも今、
こうして風に吹かれながら、
夕方の空を魅つめていると、
ほんの少し前のことなのに、
もう懐かしい。
寝坊して飛び起きた朝も。
時間を取り戻そうと、
必死になっていたことも。
会社へ向かったことも。
仕事を終えたことも。
家へ帰って、
荷物をほどき、
また次の荷物を作っていることも。
どれももう、
少しずつ
過去の風景へと変わり始めている。
人の心は不思議だ。
さっきまで、
あんなにざわざわしていたのに。
今は、
白い空を魅つめながら、
こんなにも静かになっている。
そして、
この白も、
もう少ししたら
群青へと変わってゆくのだろう。
その先には、
漆黒の夜が待っている。
けれど、
私はまだそこへ行かない。
今日はまだ、
終わっていないから。
これからお風呂に入る。
温かい湯の中で、
今日まとったものを
もう少しほどいてゆこう。
そして今夜は、
久しぶりに家族と食卓を囲む。
同じ場所で、
同じ時間を過ごし、
同じ食卓を囲む。
それだけで、
きっと心はもう少し、
やわらかくなる。
明日はまた、
朝から忙しい。
そしてその先には、
また横浜へ向かう時間が待っている。
でも今は、
そこまで急がなくていい。
支度は、ほとんど整った。
だから今は、
少しだけ立ち止まってもいい。
風さんに包まれながら。
家族のぬくもりに包まれながら。
そして、
私の居場所そのものへ、
少しずつ溶け込んでゆこう。
今日はまだ、
終わらせない。
白へ還った心のまま、
これから夜の続きを、
ゆっくり歩いていこう。
ほどきつつ
また結びゆく
旅支度
帰る場所から
次の風待つ
— Morimura
白へ還る、その途中✨
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