朝の空気は、
ずいぶんひんやりとしていた。

横浜にいる間は、
いつも傘を片手に歩いていたような気がする。
だからだろうか。
今朝は、両手が自由なことが、
ただそれだけで気持ちよかった。

何も持たずに腕を振り、
冷たい空気の中を歩く。
なんだか身体まで、
少し軽くなったようだった。

途中、コンビニに寄った。
扉が開いた瞬間、
ふわっと暖かい空気に包まれた。
もう暖房が入っている。
そしてレジの横には、
湯気を立てるおでんの鍋。

ああ。こんな朝に、
あったかいおでんを食べたら、
きっとおいしいだろうな。

私がいつも選ぶのは、
卵、大根、ちくわ。
そうそう、糸こんにゃくも好き。
なかでも、やっぱり卵。

コンビニのおでんって、
結構おいしいのよね。
だしをたっぷり入れてもらって
家へ持ち帰り、
鍋に移してもう一度温める。
そうすると、
なぜだか少しだけ、
「私、おでん作ったのよ」
みたいな気分になってしまう。
そんな小さな勘違いも、
なんだか楽しい。

もう、そんなものが恋しくなる季節なんだ。

寒い季節が、
少しずつこちらへ近づいている。
そう思いながら外へ出ると、
今度は虫の声が聞こえた。

りん、りん。

まだいるよ。
そう言っているようだった。

冷たい朝の空気の中で、
虫たちはまだ夏の名残を奏でている。

寒い季節へ向かっているのに、
耳には暑かった季節の余韻が残っている。

夏でもない。
冬でもない。
二つの季節の間を、
ゆっくり行ったり来たりしているような時間。
少し幅の広いこの「あわい」こそ、
秋なのかもしれない。

そして、空を見上げた。

あれほど深く輝いていた群青は、
いつの間にか、
漆黒の世界へと移ろっていた。

けれど、
その闇の中にはまだ、ひときわ明るい星。
そして、
小さな白い粒のような星たち。
星は、あのイラストで描くような
尖った形なんてしていない。
ただ、ぼわっとぼやけた白い粒。
それなのに、
どうしてこんなにも心を惹きつけるのだろう。

むしろ私は、
はっきりした星の形よりも、
漆黒の中に浮かぶ
小さな白い粒の方が好きなのかもしれない。

遠くて、正体がよくわからなくて。
だからこそ、幽玄に感じる。

細い住宅街の路地へ入る。
街はまだ眠っている。
聞こえてくるのは虫の声。

その頭上には、
黒と白だけの世界。
漆黒の空と、
白い星。
光と影。

人はつい、
輝いているものに目を奪われる。

けれど今朝の私は、
なぜか光よりも、
その光を浮かび上がらせている影の方に
心を惹かれた。

今日の主役は、
もしかしたら光ではないのかもしれない。
影。
漆黒。
何もないように見える余白。

影があるから、
光が輝く。
影があるから、
間が生まれる。
余裕が生まれる。
何かを入れることのできる、
余白が生まれる。
そう思った。

あ。

星がひとつ動いている。

いや。

星じゃない。
飛行機だ。

地上から魅れば、
飛行機の灯りさえ星の仲間に魅えてくる。

なんだか可笑しくて、
少し笑った。

朝の4時半。
何度となく歩いてきたはずの時間。
何度となく魅てきたはずの空。

なのに今朝は、
初めて幕が上がった舞台のようだった。
もし私がもっと星座に詳しかったら、
この空をもっと楽しめるのかもしれない。
でも、
名前を知らなくてもいいのかな、とも思う。

名前がなくても、
美しいものは美しい。
漆黒の中に、
ぼわっと浮かぶ白い粒。
虫の声。
冷たい空気。
コンビニのおでんの湯気。
夏の名残と、近づいてくる冬。

そのすべてが混ざり合って、
今朝の秋ができている。
私はまだ、
夜と朝のあわいを歩いている。

漆黒に
白き星粒
浮かぶ朝
夏を残して
秋は深まる

— Morimura