私はもともと、
あるがままの自然が好きだった。

山は山のまま。
川は川のまま。
木々は、風に吹かれるまま。
人の手など入らなくても、
自然はそれだけで十分に美しい。
ずっと、そう思っていた。

けれどある日、
植治の庭に出逢った。
そのとき私は、
少しだけ考えを変えた。

そこには水が流れていた。
けれど、
水を無理に曲げたようには魅えなかった。

石が置かれていた。
けれど、
人がそこへ持ってきたものなのか、
ずっと昔からそこにあったものなのか、
わからなくなるほど景色になじんでいた。

木々もそうだった。
枝を整え、
光の入り方を考え、
風の通り道までそっと作っている。
なのに、「人が作りました」とは語らない。
むしろ庭全体が、
「私はここに、ずっとこうしていました」
とでも言うように、
静かに息をしていた。

私は、その姿に感激した。
自然に人の手を加える。
そう言ってしまえば、
少し違う気がする。

あれはきっと、自然に、人の手を添える。
なのだと思う。
自然より前へ出ない。
自分の技を魅せつけない。
水の声を聞き、
木の呼吸を感じ、
石が落ち着く場所を探しながら、
「ここでいいですか」とでも尋ねるように、
そっと手を置いていく。

すると不思議なことに、
自然は人の手を嫌がるどころか、
それまで以上に生き生きとしてくる。

水は、
ただ流れるだけではなく、
光を映し、
空を映し、
季節を映すようになる。

木々は、
ただそこに立つだけではなく、
春を告げ、
夏の影をつくり、
秋には色をまとい、
冬には枝だけで空を描く。

人の手が入ったことで、
自然が何かを語り始める。

私はそんなふうに感じた。

この美しい自然を、守ってください。
どうか、次の季節へ渡してください。
ここへ来た人の心が、
少し豊かになりますように。
疲れた人が、
ほんの少しでも癒されますように。

庭から、
そんな願いが聞こえてくるようだった。

だから私は、
植治の庭を魅つめている時間が好きだった。
庭を前にして、
季節の料理をいただく。
器の向こうには緑。
水面には空。
風が吹けば葉が揺れ、
その葉の影が料理の上をかすめていく。

味わっているのは、
料理だけではない。

水も。
光も。
風も。
そこに流れてきた時間も。
全部一緒にいただいているような気持ちになる。

今朝、
灯りを受けて金色に魅えた木の葉を見て、
私はふと植治の庭を思い出した。

本当は緑の葉。
けれど、
人がそっと灯した光によって、
夜と朝のあわいの一瞬だけ、
金色の姿を魅せてくれた。

自然だけでも美しい。
人の手だけでも、
美しいものは作れる。

けれど、その二つが互いを邪魔せず、
互いを生かしながら重なったとき、
そこには、
どちらか一方だけでは生まれない
世界が現れる。

自然と人とが織りなす世界。
私はきっと、
そんな景色に出逢いたいのだ。

そして、
そんな景色の中で暮らしたいのだと思う。

人が自然を支配するのではなく。
自然を壊して、
自分たちの都合だけで
作り替えるのでもなく。
ただ、自然の声に耳を澄ませ、
「少しだけ、お手伝いしてもいいですか」
と手を差し出す。

そんな人の手なら、
きっと自然も受け入れてくれる。
そして百年後も、
その庭のどこかで水は流れ、
木々は季節をまとい、
誰かがまた、
そこで立ち止まるのだろう。

私はその景色を想像しながら、
心の中でそっと手を伸ばした。
自然に触れるためではない。
自然に、手を添えるために。

— Morimura