白み始めた空の下を、
ゆっくりと歩いていく。
鳥たちが、朝の訪れを告げ始めた。
川の流れが、いつもより爽やかに聞こえる。
そして、頬を撫でる風。
ひんやりとした秋の冷たさが、
なんとも心地よい。
けれど、手だけは少し冷たい。
季節が進むにつれて、
朝の冷え込みも日に日に増してきた。
そんな今朝の私には、
ちょっとした秘密兵器があった。
黒とオレンジの手袋。
もう10年以上も前に贈られたものだ。
黒い手袋の上に、
オレンジ色のカバーが重なる、
少し変わったデザイン。
当時は、ただおしゃれな手袋だと思っていた。
けれど今朝、ふと思いついた。
あら、これならスマホを操作しながら
歩けるじゃない!
さっそく右手にはめてみた。
温かい。
しかも、指先を使うのにも都合がいい。
なんだか嬉しくなった。
長い年月を経て、
再び私の朝の相棒になった手袋。
けれど、その温もりに触れた途端、
思いがけないことが起こった。
遠い記憶が、ふっとよみがえってきたのだ。
あの頃も、こうして朝の道を歩いていた。
今より少し慌ただしく、
前へ前へと足を運んでいたような気がする。
歩幅が合わず、
もどかしく思ったこともあった。
何気ないことで笑い合ったこともあった。
そのひとつひとつが、今では懐かしい。
そして、あの頃には気づかなかった優しさが、
今になって見えてくる。
冷たい手を気遣ってくれた、
あの日の温もり。
何気なく受け取っていたものの中に、
こんなにも深い思いやりがあったのだろうか。
不思議なものだ。
あの頃の出来事は、何ひとつ変わっていない。
変わったのは、今の私の心なのだろう。
幾重もの時間を重ね、
いろいろな優しさに触れてきた今だからこそ、
あの日の温もりが、
以前よりもずっと鮮やかに感じられる。
過去の風景が、今の私を温める。
そして、今の私の心が、過去の風景を
さらに温めていく。
今朝、群青鏡を見上げながら考えていた
心象風景の重なり。
その意味を、
今度は小さな手袋が教えてくれたような
気がした。
やがて、いつもの101号室の前に立った。
今日は、いつもより少し遅い。
空にはもう、朝の光が広がり始めている。
私は静かに語りかけた。
「あなた、安らかに眠って、
ゆっくり休んでね。
でも、時々ピンチのときは助けてね」
ふふっ。
最後には、ちょっぴり甘えてしまった。
けれど、これでいいのだと思う。
心の奥にしまわれた大切な時間は、
消えてなくなるわけではない。
今を生きる私の中で、
時折こうして新しい温もりをまといながら、
そっとよみがえってくる。
再び歩き始めた。
ひんやりとした風が、手の甲を撫でていく。
けれど、手袋の中は温かい。
そして、心の中も温かい。
十年以上前の温もりが、
今朝の私を包んでくれている。
そう思うと、
なんだか胸の奥がじんわりと熱くなった。
ああ。
愛おしいという気持ちは、
時間を経るほど深くなることがあるのね。
昔は見えなかったものが、
今だからこそ見えてくる。
それもまた、
年齢を重ねる喜びのひとつなのかもしれない。
ふと、顔を上げた。
緩やかな上り坂へと続く、曲がりくねった道。
いつもの風景が待っている。
けれど、今朝はなんだか、
いつもとは違うものに出逢えそうな気がした。
私は、温かな右手をそっと握り直した。
さあ、もう少し歩いてみよう。
まだ知らない今日の風景が、
この先で私を待っている。
【朝の一首】
手袋に
時をたたんで
秋の風
遠きぬくもり
今をあたため
— Morimura
第二部|手袋に宿る、十年越しのぬくもり― 時を越えて、優しさに逢う ―
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