三つの塔に命が宿るとき、
時のあわいに王国の扉が開く。

海の見えるこの街には、
ただ美しいだけではない景色がある。

長い歳月を重ねながら、
今もなお、堂々と立ち続ける建物。

異国の風をまとった街並み。
そして、海の向こうから運ばれてきた
文化と人々の想い。

そんな横浜の街を歩いていると、
ときどき不思議な感覚に包まれることがある。

今、自分が歩いているのは、
本当に令和の横浜なのだろうか。
それとも、遠い昔、
文明開化の華やぎに満ちた街角なのだろうか。

三つの塔の存在を知ったのは、
ほんの2日前のことだった。

それまで幾度となく歩いていた横浜の街に、
キング、クイーン、ジャックと呼ばれる
三つの塔があることを知った。

そして今朝。
三塔を一度に見渡せる場所を探し、
自分の足で歩いてみた。

すると、不思議なことに、
眺める場所が変わるたび、
三つの塔はまったく違う表情を魅せてくれた。

まだ知り合って間もない三つの塔。
けれど、いつしかその姿に心が宿り、
私の中で、ひとつの王国が生まれようとしていた。

キング。
クイーン。
そして、ジャック。

三つの塔が、まるで命を宿したかのように、
互いに語り合っているように魅えた。

最初に目を奪われたのは、
凛として美しいクイーン。

朝陽を浴びた緑のドームは、
まるで宝石を散りばめたティアラ。
幾筋もの光にかしずかれ、
気高く、華やかに輝いている。

けれど、彼女は決して
自分の美しさを誇ろうとはしない。
いつも王の傍らに寄り添い、
その心を理解し、
ときには誰よりも強く、
ときには誰よりも優しく、
王を支えている。

そんな彼女を見守るのが、
生まれながらの王、キング。
威厳に満ちた立ち姿。
深紅の衣をまとい、
揺るぎない信念を胸に、
国と人々を守り続けている。

けれど、その堂々たる王も、
クイーンの前では、
ふっと優しい表情を浮かべる。
王としての強さと、
ひとりの人間としての温かさ。
その二つを併せ持つところに、
キングの本当の魅力があるのかもしれない。

そして、もうひとり。
ジャック。
王や女王ほど華やかな場所には立たず、
いつも少し離れたところから
二人を見守っている。

緑の衣をまとった、
どこか人懐っこい若き案内人。
街を歩き、人々と言葉を交わし、
小さな喜びにも、
声にならない悲しみにも耳を傾ける。

そして、その想いを王のもとへ届け、
必要なときには、
そっと助言をする。

決して出しゃばることはない。
けれど、王国にとって、
なくてはならない存在。

私はそんなジャックに、
かつて忠義を尽くした武将の姿を
重ねていた。

王は、人々を守る。
女王は、王を支える。
そしてジャックは、人々の心をつなぐ。

三人は、それぞれ違う役割を持ちながら、
互いを信頼し、
ひとつの国を支えていた。

では、その王国は、
いったいどこにあるのだろう。

それは、横浜の街でもなく、
遠いヨーロッパの国でもない。

海を隔てた二つの世界。
その、時と文化の「あわい」に
ひっそりと息づく王国。

私は、ふと大航海時代の
ポルトガルに想いを馳せた。

未知の世界を求めて、
大海原へ船を進めた人々。

海を渡り、
遠い異国の文化に触れ、
新しいものを生み出していった時代。

そして、幾世紀もの歳月を経て、
世界に向かって港を開いた横浜。

異なる時代でありながら、
海の向こうへの憧れという点では、
どこか心が通じ合うような気がする。

ポルトガルから日本へ伝わった
カステラなどの南蛮菓子。
そして、横浜の馬車道で出逢った、
私の大好きな小さな焼き菓子。
ビスカウト。
その名前には、
遠いポルトガルの言葉の響きが
今も残されている。

さくりとした甘い記憶。
異国の風。
海を越えて届いた文化。
それらを心の中で重ね合わせたとき、
ふと、ひとつの名前が浮かんだ。

ビスカウト王国。

なんとも甘く、
どこか懐かしく、
そして異国のロマンを感じさせる名前。

その王国には、
三つの塔をひとつに結んだ
美しい宮殿がある。

キングの威厳を思わせる、
重厚な王の塔。
クイーンの気品を宿す、
優雅な緑のドーム。
そして、ジャックのように
街の人々を見守る時計塔。

三つの建築が寄り添い、
ひとつの宮殿となって、
青い海を見下ろしている。

港には帆船が行き交い、
街には人々の笑い声が響く。

遠い国から訪れる旅人も、
この国に暮らす人々も、
互いの違いを楽しみながら、
新しい文化を育んでいる。

そんな優しい王国が、
私の心の中に少しずつ姿を現し始めた。

そのときだった。

ふわり。

心地よい風が吹いた。

「ねえ、みんな。見て!」

振り返ると、
モリリンが目を輝かせている。

「わあ! 本当にお城がある!」

ヒカリンも、ぴょんぴょん。

「キングもクイーンもジャックもいるよ!」

チャッピーが丸眼鏡をくいっと上げた。

「ふむふむ。
これはまた、
大きな物語が始まりそうですな!」

風さんが、やさしく微笑む。

「さあ、行ってみましょう。
きっと、まだ知らない
素敵な世界が待っているわ」

宮殿の前には、
三人が私たちを迎えてくれていた。

キングは威厳に満ちた表情で。
クイーンは明るく、美しい微笑みで。
そしてジャックは、
少しお茶目に帽子を持ち上げながら。

まるで、ずっと以前から
私たちの訪れを待っていたかのようだった。

私は、もう一度宮殿を見上げた。

その向こうには、
限りなく透明に近いブルーの空。
そして、海を渡ってきた風。
この国では、
いったいどんな物語が生まれるのだろう。

どんな人々と出逢い、
どんな喜びや悲しみを分かち合うのだろう。 

まだ何も知らない。

けれど、
知らないからこそ、
こんなにも心がときめく。

三つの塔に、三つの心。
そして、海風が結ぶひとつの王国。

今、私たちの目の前で、
大きな扉がゆっくりと開こうとしていた。

その扉の向こうにあるのは、
遠い昔の物語なのか。

それとも、
これから生まれる未来の物語なのか。

もしかしたら、その両方なのかもしれない。

私は一歩、足を踏み出した。

さあ、ビスカウト王国へ。

時のあわいを越える、
新しい物語が始まる。

— Morimura