今朝、私は海辺に立って、
ひとつの夢を見ていた。
もし、あの三つの塔を空から眺めたら、
どんな王国が見えるのだろう。

キング、クイーン、そしてジャック。
昨日、私の心の中に生まれたビスカウト王国。
その王国への扉が、
思いがけず今日、開かれることになった。

午前10時25分。

11時からの昼食には、
まだ少し時間がある。
それなら、先に11階の展望テラスへ。
エレベーターの扉が開いた瞬間、
目の前に広がったのは、
海と空に抱かれた美しい横浜だった。

そして、その中央にはキング。

「あら、キング。
今日はずいぶん小さく見えるのね」
地上から見上げた威厳ある姿とは、
少し違う。

そんなことを思っていると、
どこからともなく声が聞こえた

「おやおや、お客様。
王様を見下ろすとは、なかなか大胆ですな!」

振り返ると、そこにはジャック。
胸に手を当て、恭しく一礼している。

「本日は、王国の特別な午餐会へようこそ」

「まあ! 私が招待されているの?」

「もちろんでございます。
女王様が、ぜひお逢いしたいと」

ふふっ。

どうやら私は、
知らないうちに王国から招待状を
いただいていたらしい。

「それでは、こちらへ」

ジャックに案内され、
もうひとつ上の階へ。
12階。
その窓の向こうには、
先ほどより堂々としたキングの姿があった。

「あら、キング! 威厳が戻ってきたわね」

「ははは。王というもの、
見る位置によって多少は
印象が変わるものです」

低く落ち着いた声。
さすがキング。
その堂々たる佇まいには、
国を治める者の風格が漂っている。

けれど、その表情は思いのほか優しい。
そして、キングの少し後ろにはクイーン。
エメラルドグリーンのティアラをいただき、
美しいドレスをまとった女王様。

「ようこそ、私たちの王国へ」
その微笑みは、
朝の陽光のように柔らかかった。

「今朝は、
ずいぶん長いこと
私を魅つめていらしたでしょう?」

「あら、ご存じだったの?」

「もちろん。
あなたが私のドレスのフリルまで
褒めてくださったことも」

ふふっ。
なんだか少し恥ずかしい。

「それに、私のお茶の時間まで
想像してくださったとか」

そう言って、クイーンは楽しそうに笑った。

「ええ。女王様はビスカウトが
お好きなのではないかと思って」

「まあ! よくおわかりね」

その瞬間、王国にほんのり甘い香りが
漂ったような気がした。

「でも、今日はお茶会ではございませんの」

クイーンが優雅に手を差し伸べる。

「今日は、
天空の午餐会にご招待いたしました」

案内された食卓には、
立派な伊勢海老御膳。
こんがりと揚がった大きな伊勢海老のフライ。
彩り豊かな野菜に、
丁寧に盛りつけられた煮物。
白いご飯とお椀。
そして、二種類のソース。

あらまあ!なんて豪華なのでしょう。

「これは、海の恵みを祝う王国のお料理です」

キングが、満足そうにうなずいた。

「海は、我が王国の宝ですからな」

そう。
この王国は、海とともに生まれた。
遠い異国から船が訪れ、
人々が集まり、
さまざまな文化が交わってきた。
そして今日も、
海は王国の向こうに大きく広がっている。

「さあ、どうぞ召し上がれ」

クイーンに勧められ、私は食卓に向かった。
ところが、ふと気になった。

「ねえ、ジャック。あなたは?」

「私は皆さまのお時間を
お守りする役目ですから」

そう言って、胸を張るジャック。

「午餐会が長引かぬよう、
時計塔からきちんと時をお知らせいたします」

「まあ、なんて真面目なの!」

するとキングが笑った。

「ジャックは昔から、
時間には少々うるさい男でしてな」

「王様! 時を守ることも
忠誠の証でございます!」

あはは!
なんだか、すっかり楽しくなってしまった。

気高いキング。
優雅なクイーン。
そして、少しお茶目で真面目なジャック。

三人のやり取りを眺めていると、
まるで昔から知っている人たちのような
親しみが湧いてくる。

食卓の向こうには、青い海。
その上には、
太い筆で何度もなぞったような白い雲。
空も海も、
今日は王国のために
美しく装っているようだった。

「ねえ、クイーン」

「なあに?」

「この王国には、
いつからこんなにたくさんの
物語があるのかしら」

クイーンは、少し考えるように海を魅つめた。

「物語は、
最初からあるものではありませんわ」

そして、優しく微笑んだ。

「誰かが心を寄せてくださったとき、
初めて生まれるものなのかもしれません」

ああ、そうなのね。
昨日まで、私にとって
三塔は美しい建築物だった。
けれど、何度も魅つめ、
心を寄せるうちに、
それぞれの表情が生まれた。

キングには威厳と包容力。
クイーンには気高さと優しさ。
そしてジャックには誠実さと忠誠心。

そんな心を重ねていくうちに、
いつしかひとつの王国が生まれていた。

「ところで、女王様」

私は、
もうひとつ気になっていたことを尋ねた。

「今日のお茶の時間には、
やっぱりビスカウトを?」

「もちろんですわ」
クイーンが、いたずらっぽく微笑んだ。
「今日は特別に、
小さな姫ビスカウトを用意させましょう」

「まあ、姫ビスカウト!」

するとジャックが、すかさず口を挟んだ。

「女王様! 午餐会の後に、
さらにお菓子でございますか!」

「ジャック。
幸せな時間に、
少しばかりの甘さは必要でしょう?」

「はっ! 仰せのとおりでございます!」

あはは!なんて楽しい王国なのでしょう。

もちろん、これは私の心の中で描いた、
もうひとつの午餐会。
現実の食卓には伊勢海老御膳。
けれど、窓の向こうには
確かにキングもクイーンもジャックもいる。

そして、私の想像の中では、
三人が今日も楽しそうに語り合っている。
やがて、午餐会もお開きの時間。

「今日は、本当にありがとう」

私がそう告げると、
クイーンが優しく微笑んだ。

「また、いつでもお越しくださいね」

キングも大きくうなずいた。

「我が王国の門は、
いつでも開いておりますぞ」

そしてジャック。

「次回も、
お時間だけはお守りくださいませ!」

ふふっ。

最後までジャックらしい。

私はもう一度、窓の向こうを眺めた。
昨日は、地上から王国を探した。
今朝は、その心に逢いに来た。
そして今日は、
とうとう王国の午餐会にまで招かれてしまった。

心が動けば、景色が変わる。
景色が変われば、
物語が生まれる。

そして、その物語は、
また新しい幸せを連れてくる。

エメラルドのティアラが、
遠くの空に輝いている。
その傍らには堂々たるキング。
そして、少し離れてジャックの時計塔。

ああ、なんて愛おしい王国なのでしょう。

ビスカウト王国。

そこは、遠い昔の童話の世界ではない。 
今、私の心の中に生まれた、
小さくて、温かくて、
ほんのり甘い王国なのだから。

— Morimura