第四部|群青の花、七日の記憶〜昨日の私が、今日の景色に咲く〜
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光の方へ歩いていくと、
象の鼻パークの広い空が迎えてくれた。
今日は、この7日間に歩いた道を、
もう一度たどってみたい。
そんな気持ちで、海に沿って歩く。
初めて来たときは、
ただ景色を確かめるだけで精いっぱいだった。
けれど今日は、少し違う。
見慣れた輪郭の一つひとつに、
あの日の驚きや、誰かの言葉や、
自分でも知らなかった気持ちが重なっている。
同じ道をたどることは、
同じ朝を繰り返すことではないのね。
防波堤の第二のビューポイント。
風は少しずつ強くなっていた。
見上げれば、クイーンの塔。
朝陽を受けたティアラは、
鮮やかなエメラルドグリーンに輝き、
両手を広げて迎えてくれているようだった。
キングも、今朝はどこか優しい表情。
「また帰っておいで」
そんな声が、風に紛れて聞こえた気がした。
ジャックは相変わらず控えめ。
きっと、二人の後ろで
静かに時を刻んでいるのだろう。
ああ、いつの間にか三つの塔は、
私にとって建物ではなく、
心を交わす親しい人たちになっていた。
そのとき、ふと目を奪われた色がある。
青紫。
群青の名残を閉じ込めたような花。
群青は、夜空だけの色だと思っていた。
なのに、朝の光の中で、
こんなにも鮮やかに咲いている。
夜が明けたからといって、
夜の想いまで消えるわけではない。
そんなことを、花に教えられた気がした。
何度もこの道を歩いたのに、
今朝はどうして、
こんなにも心に響くのだろう。
ノアサガオらしいその花を、
愛らしいハート形の葉が包んでいる。
朝の青から、時とともに紫へ。
その色合いも移ろう花だという。
花も、心も、
一日のうちにさえ色を変えていく。
けれど、すべてを人に見せるわけではない。
胸の奥で秘めていた想いが、
ほんの一瞬、花びらの色に滲むこともある。
風が通ると、
群青の花が、かすかに身を震わせた。
その小さな揺らぎは、
誰にも明かしていない私の想いまで、
そっと知っているかのようだった。
花が一輪、朝風に傾く。
近づけば近づくほど、
色の奥に、また別の色が潜んでいる。
言葉にならない想いに触れたようで、
しばらく目を離せなかった。
同じ花は、昨日もここに咲いていた。
変わったのは、花ではない。
この7日間を歩いてきた、
私の心なのだ。
第二のビューポイントを後にしても、
あの色が忘れられなかった。
だから、もう一度戻った。
心のサンクチュアリへ
行くつもりだったけれど、
今朝は、ここで十分。
この花にもう一度逢うことが、
今日の私には大切に思えた。
そして、そこから大さん橋へ続く道で、
一枚の昔の横浜の風景画に出逢った。
象の鼻、大さん橋、赤レンガ倉庫。
今も知っている場所が描かれているのに、
船も、街も、人々の気配も、
まるで違う時代の呼吸をしている。
昨日、開港資料館で魅た古い写真が、
心の中でふっと重なった。
景色に昔の色が差し込むと、
今歩いている道まで、
長い時間を宿し始める。
かつてこの場所を歩いた人と、
今ここにいる私。
逢うことはできなくても、
同じ港の風を知っている。
それだけで、
少し心が近づく気がした。
そのまま山下公園へ。
ちょうどラジオ体操の時間だった。
懐かしい音楽に誘われて、
私も一緒に身体を動かした。
腕を伸ばし、背筋を反らす。
真面目にやると、これがなかなか大変。
ふと、仕事の打ち合わせで訪れた工事現場で、
ヘルメットをかぶり、
みんなと一緒に
ラジオ体操をした朝がよみがえった。
公園のベンチにも、
懐かしい私が座っている。
海と空と太陽を眺めながら、
日記を綴っていた、あの頃の私。
港の見える丘公園まで歩き、
中華街で朝粥をいただいた朝もあった。
そんな朝を重ねてきたことを、
今さらのように懐かしく思う。
あの頃に戻りたいのではない。
あの頃の私がいたからこそ、
今日の花の色も、
風の音も、こんなに深く感じられる。
一つの風景に出逢うたび、
心の奥から昔の私が顔を出す。
「ああ、私、それを知っているわ」
そして、今の私に
また新しい意味を教えてくれる。
過去は遠ざかるだけではない。
今日の光を浴びて、
新しく咲き直すこともあるのね。
公園を後にした私は、
再び、歴史の息づく街へ歩き出した。
胸の中には、群青の花。
そして、その向こうに、
まだ開いていない一つの扉があった。