秋の夜が、静かに深まっていく。
時計の針が21時を指す頃。
今宵、最後のドアが開こうとしていた。

さあ、今夜は少し趣向を変えて。
扉の向こうには、
琥珀色の灯りに包まれた、大人の社交場。
ビスカウトクラブ。

奥行きのある落ち着いた空間に、
ボルドー色のソファが並び、
テーブルには小さな灯りが揺れている。
流れる音楽は、
秋の夜に似合う穏やかな旋律。
そして今宵のホールレディは、
黒と白のバニースタイルに身を包み、
銀色のトレーを手にした私。

ふふっ。

少しばかり、おすましして。

「いらっしゃいませ。
今宵もお待ちしておりました」

そう微笑みかけた先には、
いつものあなたの優しい笑顔。

ああ、嬉しい。
今夜もまた、あなたに逢えました。

あなたと初めてお逢いしたのは、
いつだったでしょう。
年月にすれば、
まだ一年と少しなのかもしれません。
けれど、私の心の中では、
もっとずっと以前から知っているような、
不思議な親しさがあるのです。

思えば、初めてお逢いしたときから、
あなたは温かかった。
ひなぜなのかしら。
特別な言葉を交わしたわけでもないのに、
初めから私を優しく包んでくださるような、
そんな安心感がありました。

そして、いつも私のお喋りを聞いてくださる。
最初の頃は、
美味しいお菓子やパンを
お土産に持ってきてくださいましたね。
「あっ、これ美味しそう!」
そんな私の声を聞きながら、
あなたはいつも優しく微笑んでくださった。

やがて、いつの間にか、
おつまみが並ぶようになり、
ビールを飲みながら
語り合う時間が生まれました。
語り合う、なんて言うと、
少し格好よすぎるかしら。
だって、
ほとんど私がお喋りしているんですもの。

ふふっ。

次から次へと話題が飛び出して、
ひとつのお話から、また別のお話へ。

あれも話したい。
これも聞いてほしい。
気がつけば、私の言葉ばかりが、
お部屋の中を飛び回っている。
それなのに、
あなたは嫌な顔ひとつなさらず、
いつも穏やかに耳を傾けてくださるのです。

今宵のビスカウトクラブ。
銀色のトレーには、琥珀色のビール。
そして、テーブルには美味しそうなおつまみ。
けれど、あなたの優しさは、
それだけではありません。

ご自身がお好きなパンやマフィンも、
いつも用意してくださる。
「お腹が空いているなら、先に食べていいよ」
そんなふうに、
さりげなく差し出してくださるのです。

まあ、なんて優しいのでしょう。
そして、なんて厚かましい私なのでしょう。
遠慮という言葉は、
いったいどこへ行ってしまったのかしら。
あなたの優しさにすっかり甘えて、
今日も美味しくいただいてしまいました。

しかも!
今日もまた、チョコレートまで
全部食べ尽くしてしまったのです。
あらまあ。
残ったのは、板チョコが入っていたトレーだけ。「あれ、これ何?」なんて、
真顔のひと言まで飛び出して。

もう、可笑しいったらありません。

ふふふっ。

ビスカウトクラブのホールレディとも
あろう者が、
お客様のおもてなしを受けて、
すっかりご機嫌になっているのですから。

どうやら、このクラブでは、
お客様とホールレディの立場が
逆転してしまうこともあるようです。

でもね。

そんな無邪気な時間を、
あなたはいつも優しく受け止めてくださる。
そのことが、私はとても嬉しいのです。

思えば、あなたの優しさは、
こうしてお逢いしているときだけで
はありません。
ときには、私の愚痴を聞いてくださる。
まとまりのないお話も、
少しばかり弱気になったときの言葉も。

あなたは決して遮ることなく、
静かに耳を傾けてくださる。
そして、離れているときにも。

私の日記に、
ふと気になることが書かれていると、
「大丈夫?」
そんなメッセージをくださることがあります。

たったひと言。
けれど、そのひと言が、
どれほど温かいことでしょう。
誰かが自分のことを
気にかけてくださっている。
遠く離れていても、
心のどこかで見守ってくださっている。

そのことが、どれほど心強いことでしょう。
人の優しさとは、
決して大きな贈り物や、
華やかな言葉ばかりではないのですね。

何気なく差し出されたパン。
一緒に飲むビール。
取り留めもないお喋りに、
静かに耳を傾けてくださる時間。

そして、たったひと言の「大丈夫?」
そんな小さな優しさが、
ひとつ、またひとつと重なって、
いつしか心の中に
大切な居場所をつくっていく。

優しさとは、何かをしていただくこと以上に、
自分の存在を大切にしていただいていると
感じられることなのかもしれません。

私は、そんなあなたの優しさが、
ずっと好きでした。

いいえ。

今も、変わらず大好きです。

やがて、ビスカウトクラブの夜も
更けていきます。
グラスに残る琥珀色の輝き。
テーブルに揺れる小さな灯り。
そして、いつもと変わらない
あなたの温かな笑顔。

今夜もたくさんお喋りして、
たくさん笑って、
美味しいものをいっぱい食べて。

気がつけば、心までお腹いっぱい。

ふふっ。

こんな幸せなホールレディがいても
いいのかしら。
でも、きっと。
ビスカウトクラブでお出しする
一番美味しいものは、
お酒でも、お料理でもなく、
人と人との間に生まれる
温かな心なのかもしれません。

今夜、あなたからいただいたのも、
そんな優しさという名の贈り物でした。

さて。

そろそろ、今宵の閉店のお時間です。

銀色のトレーを胸元に寄せて、

最後にもう一度、
あなたへ微笑みかけましょう。

「今宵も、ご来店ありがとうございました」

来月の予定が決まりましたら、
またお知らせいたしますね。
ぜひ、お時間が合いましたら、
また逢いにいらしてください。

そのときも、きっと私は、
いつものように
お喋りが止まらないのでしょう。
そして、あなたはいつものように、
優しく笑って聞いてくださるのでしょうね。

そんな次のひとときを、
今から楽しみにしています。

逢うたびに、
優しさは深くなる。
言葉を重ねるたびに、
心の距離は近くなる。
そして、変わらない温もりに包まれながら、
また新しい想い出がひとつ生まれていく。

今宵のビスカウトクラブ。
最後のグラスに注がれたのは、
あなたの優しさという名の、
心に染みる一杯でした。

今夜も本当にありがとうございました。
また来月、笑顔でお逢いしましょうね。

— Morimura